2008年9月28日日曜日

沖縄4日目

沖縄、最終日。
本日も、原付で移動しつづける。
一応目的地はあるのだが。
もう、ほとんど罰ゲームかというかんじで。
ひたすら、原付で、北へ南へと移動。
このたくましすぎる旅が祟ってか。
今日は男に間違われること2回であった(泣)。

2008年9月27日土曜日

沖縄3日目

今日は雑居ビル6階の宿を後にする。
リュックを背負い、またまた原付でウィ~ンと北上し。
わたくしもオホホー。レジャー気分を味わいたく。
いきなり5倍のお値段の宿へと向かうも。
あれー?5倍の値段くらいでは大したことなかった…。
ビジネスホテル。といったところ。

荷物を置き、今日の目的は残波岬(<--自殺じゃないです)。
旅における1日の目的など、とってつけたようなもんで。
なんかしら、とりあえずの本日の目的地を見つけるだけで。
ほとんどは移動だから。
目的はひたすら動き続けることなのかもしれない。

沖縄2日目

昨晩、沖縄そばが食いたい。と。
夜の街に出る。しかし。
一人で入りにくく。
レストランの前でモジモジし。
通りすぎる。
という儀式のようなものを何件ものレストンランの前でやる。
そして。
意を決して入ったレストランには。
沖縄そばはなかった‥‥。

2008年9月26日金曜日

那覇市雑居ビル6階到着

前回、旅の定義だの云々とホザいたが。
普通に考えると、
30代女、ひとり旅、沖縄。
これだけ見ると、アバンチュールを渇望しているか。はたまた自殺か。
といったところか。

しかし、私が今到着した宿は。
那覇市の雑居ビル6階にある安宿。
しかも、来た早々、入り口で、警官と外人がなんかモメている。
しかもフランス語。
宿の中もフランス語しか聞こえませーん。

ともかく。
アバンチュールも自殺も遠そうだ。

2008年9月25日木曜日

旅の定義

明日から沖縄の旅。
『旅は道連れ~』とは言うが。
持論では、
道連れがいるのはレジャー。
ひとりで行くのが旅。

道連れがいると楽しいが、道連れがいないのはやっぱりつまらん。
なので、実は旅を楽しいと思ったことはそれほどない。
いつも、歩きつかれて、時間潰しに苦戦する。

中島らもは、かつて。
『ひとりで時間を潰せることを教養と言う』と説いた。
さあ。明日から試されます。
マユゲに教養があるのか!?

2008年9月23日火曜日

輪廻転生

輪廻転生というのは信じているというか。
まあ、本能的にそういうものだと思っている。
しかし。
またしゃべれない時代や、小学生からやり直すのかと思うと。
ゾっとする。そういえば、小学生の時は。
次は蚊になるのかもなー。
で、人間にパチンと叩かれて終わるのかも。
と、ゾッとしていた。

でも。
小学生からやり直しの方がキツイな。
運動会で行進とかするんだ。また。
ウー。そりゃ。辛いなあ。

2008年9月22日月曜日

(続2)自説: 想像したことは起きない

ハイ。また私の生涯の大テーマ。
『想像したことは起きない』

明日。ある人の家でパーティーをしようということで。
人ん家なんだが、なぜか私がオーガナイズして。
例のごとく。
またかなりリアルに皆そろってるところなんかを。
想像していたところ。
メンバーの一人がギックリ腰でダウン。延期。
えーッ。

ウーン。感慨深い。
やっぱりあれだな。上から誰かが見ていて、
「あー。想像してる、してる。バーカ。
そんなあんたの思っていることなんか。
私がヒョイッといじってしまえば起きないのさ。フフ」
と言ってヒョイッと何かをスリ替えるんだな。
というわけで。世の中は。
エーッ!
ということばかり起きるのだ。
これを避けるには。
やはり、『無心』になるしかない。
仏のように『無心』に。

と言っている間にも既になんか想像は始まってしまい。
で、上からまたのぞかれる。
いかーん。無心じゃー。

参照: 自説: 想像した事は起きない(続)自説:想像した事は起きない

2008年9月21日日曜日

英語崇拝

おこがましい女はよく。
「私、英語を伸ばしたほうがいいかと思って~」
と言う。
伸ばすのですかー。英語をねえ。ふうん。

世間には英語崇拝というとっても根深ーいものがある。
英語さえできれば外人の友達ができて。
英語さえできれば仕事があって。
英語さえできれば私はもっとハッピーなのではないか。
というやつです。
まあ、気持ちはわかる。
でもねー。
英語圏に行けば、猫も酌しも英語を話すのよ。
英語圏でなくとも、英語が必要な職場とかそーゆ場所では。
英語を話すことは当たり前で、最低限の事なわけで…。
なんの意味ももたないわけ。

人格で友達を得たり。
技術や経験で職を得たりするわけで。
べつに英語で友達ができるんじゃないのよー。
英語でハッピーなわけじゃないのよー。

どうも世間の英語崇拝が気に入らないマユゲでした。

2008年9月17日水曜日

自説: 密度論

私が早くから提唱しているものに『密度論』というものがある。
人生で受ける良いことも悪いことも消費しなければならない容量があって。
早く消費するか、ゆっくり消費するか、一気に消費するか、小出しに消費するかの密度なわけで。消費してしまったら、将来の原油と同じようにもうないのです。
つまり、
よく会社や、はたまた色々な場において。
「私は気に入られていない」とか嘆いたりしますが。
気に入られている人ほど。
「こんなところで私の<気に入られ資源>、<愛され資源>を使ってしまってよいのか」と。
自問すべきなのです。
なもんで、この自説によると八方美人なんていうのはリスキーな生き方ですな。

注:これは与える側に容量があるとかの理論ではないので注意。

2008年9月15日月曜日

堕落とステキは紙一重

予定があることで、安心したり。
出かけていれば、満たされるhappinessは所詮、
もの哀しい。
予定がない週末のほうが。
予定がある週末より。
よっぽどステキな生活だと思うが。
12時間寝てしまったりするのは。
それは、それでステキな生活ではない。
反省…。

2008年9月11日木曜日

質問のつもりらしい

一万円札で払うと。
「5000円札が切れてまして、全部1000円札になりますがよろしいですか?」
と聞かれたが。
これは質問なのか?

2008年9月9日火曜日

なんでも資格

巷ではやたら資格、資格と言うけれど。
資格を取れば安心というその心が、
貧しい。

2008年9月8日月曜日

(続)自説:想像した事は起きない

想像したことが起きないならば。
想像自体はかなり無駄な行為なわけで。
ならば止めなさい。
ってことなのですが。
人間は想像する生き物なもんで。
結局。それは凡人には止められない。
で、いい事とか想像してしまった瞬間に。
あー。これはもう想像してしまったから起きないんだな。
と思うと。
あー。それまた悲しいわけです。

しかし。『想像したから起きない』
と思っていること自体も。
実は想像の範囲内な訳で・・・。
結局。想像は時間の無駄なのだが。
『膝から流血』くらいはやっぱり想像しておきたい←頭おかしい
(参照: 自説: 想像した事は起きない )

(続2)自説: 想像したことは起きない

2008年9月7日日曜日

自説: 想像した事は起きない

昨日のひこーきを確定して発券した。
今回、予定では<原チャリで巡る沖縄の旅>。
一人旅はいつもの事だが、色々とまあ心配事はある。
自説によると、
世の中は想像したこと以外のことが起きる。
よって。
頭の中で想像したことはもはや現実では起こり得ない。
なもんで、自説に基づき、以下想像済み項目:
* 飛行機が落ちる
* 台風により欠航で帰れず(もしくは行けず)
* スクーターでコケて多額の損害金を払う
* コケた際、膝から流血

んー。まだまだ足りんな。

(続)自説:想像した事は起きない

2008年9月4日木曜日

垂れ流すと価値も垂れ

スーパーにて。
お釣りを渡されるとき、
「たいへんお待たせしましたー。またお越し下さいませー」
と言われたが。
全く待っていないんですけど・・・。
言葉と涙はむやみやたらに垂れ流すと単価が下がる。

2008年9月1日月曜日

切ないもの

年をとる良さはわかっているつもりだ。
いくら若くてイケていたとしても。
5年前の肉体と精神には戻りたいとは思わない。
精神は1年前でもごめんだ。
しかーし。
世の中のあちこちのレジで繰り広げられる、
おばあさんらのトンチンカンなやりとりをみると。
あー。やはり、それはそれで切ない。