2008年11月30日日曜日

考察: 労働

まあ。
『人間は考える葦である』
と誰かさんが説いたのは有名な話だが。
ありとあらゆる労働をしてきて思うことは、
やはり。
人間、考えることを放棄せねばならない、
単純労働が一番つらい。
と私は長年思っている。

しかし、
この世には。
マシーン以上、人間未満みたいなタスクも山ほどあるのも事実。
で、それは誰かがやらなければいけないのも事実。
で、考える職業は考えない職業があってこそ成り立つというのも。
たぶん事実。

なもんで。
考える事を許される職業に就けるというのは。
あー。幸せだなあと。
低レベルの次元で幸せを感じるのです。
しかし。
まあ。ちょっと複雑な気分…。

p.s. 『単純労働好きな人いるよー』と、まだ異議を唱えたい人は挙手してください。ただし、発言権は単純労働をしたことある人のみに限る(笑)

2008年11月24日月曜日

世の摂理

形あるものはいつかなくなる。
のは周知の事実だが。
実は。
形なきものもいつかはなくなる。
よって。
物事には必ず、終わりがある。

悪い時もいつかは終わり。
良い時もいつかは終わる。
世の摂理。
登ったら、次は谷。ありゃ~。
谷の次は、おー、登ってるー。
ということ。

なもんで。
私は、よい時もいつかは終わると。
覚悟をして、その終焉に備えたい。

という思考回路なもんで。
ハッピーな時代でも。
あー。どこか。
ダウナーなのです。

だって。終わるんだよね。
これ、いつか。

自説: 望まなければ叶う

世間では。
なりたいものを想い続けろ。とか。
望めば叶う。
とか言うけれど。
私は全く逆の説を唱えている。

人生はいかに望まないか。
いかに無心になれるかにかかっている。
もちろんこれは私の一連の、
(続2)自説: 想像したことは起きない
シリーズに通ずる話なのだが(<--しつこい)。

 望みを純粋に望むのは大人には難しい。 
こうなりたい。あーなりたい。
うまくなりたい。よいものを創りたい。
 でも。 
そこには必ず、 
人から認められたい。とか。 
成功したい。とか。 
どこかで、必ず、邪念が漂う。 
その邪念が入ってきてしまう以上、 
あー。哀しいかな。 
その望みは負の作用しかもたらさない。

なもんで。
私は『望まないススメ』を説いている。
人生はいかに無になれるか。
にかかっている。
思い描いたが負けなのだ。
無心じゃー。

p.s.邪念がない望みはよいのですよ。望んでも。

世の摂理

形あるものはいつかなくなる。
のは周知の事実だが。
実は。
形なきものもいつかはなくなる。
よって。
物事には必ず、終わりがある。

悪い時もいつかは終わり。
良い時もいつかは終わる。
世の摂理。
登ったら、次は谷。ありゃ〜。
谷の次は、おー、登ってるー。
ということ。

なもんで。
私は、よい時もいつかは終わると。
覚悟をして、その終焉に備えたい。

という思考回路なもんで。
ハッピーな時代でも。
あー。どこか。
ダウナーなのです。

だって。
終わるんだよね。
これ、いつか。

2008年11月18日火曜日

色の謎

私が小学生の時から問いかけていること。
本当の色とは何ぞや。
つまり。
色の絶対性。

ランドセルは赤い。
しかーし。
この私が見ている赤色は、他の人にも同じように赤に見えるのか?
個々の目を通し、個々の脳で赤と判断するのが個人であるならば。
この赤は皆、人の数の分だけ違う赤であるわけだ。

そして。
これは、モノクロの視界しかもたない犬には赤ではないわけで。
まてよ。地球外生物から見たら、まったく違う色なのではないかー。
見る人によって色が変わるって…。
ランドセルよ。お前は一体~。
お前は本当は何色なんじゃー?
えーッ。じゃあ。
宇宙人から見たら、
世の街やファッションはとんでもない色だったりするわけで。
道路がピンクだったり?
えーッ。

というのが私の小学生時代の大いなる問いかけだったのだが。
(↑当時から頭おかしい)
まあ。未だ解決はせず、うやむやにしている。
しかし。
ほんとは何色なんだ。と思うと。
やはり頭が狂うので。
赤は赤色ということに一応している…。

2008年11月17日月曜日

食は人なり


パルメジャーノの塊をおろさず。
粉チーズなんかで済ますのは。
もの哀しい。
おいしいコーヒーでなく。
缶コーヒーを買うことにためらわないなんて。
金銭的という意味ではなく、なんか人間が貧しい。

私の考察によると。
いくら着飾っても。
食事がどうでもよい人に。
素敵な人はいない。

だから。
エンゲル係数が高くなろうと。
貯金ができなくても。
できるだけのことはする。

まあ。
一見、見えないところでどう生活しているかが。
実は蓄積され、人の雰囲気となったりするわけで…。
結局は表に現れてしまうのです。

コンビニで食事を済ます人は。
やっぱり。コンビニっぽい人になるし。
缶コーヒーで満足な人は。
缶コーヒーレベルな人になる。

しかーし。
この説。
私がもう少し細めで素敵な人だと説得力があるだよねー。
というわけで。
いまいち説得力に欠けるのでしたー。

2008年11月14日金曜日

言った事は起きなくなる

3週間ほど前。
「残業はしないで帰っちゃうの。
まあ7時すぎまでいることはあっても。
8時はないね』
と私は言い放ったのだが。
その日以来、
私は毎日残業になった…。
夜8時を超える日も既に数日。

想像したことは起こり得ないと。
しつこく説いてきたが。
(参照: 自説: 想像した事は起きない, (続)自説:想像した事は起きない, (続2)自説: 想像したことは起きない  )
実は、言った事も起きない。
正確には言った事と反対のことが起きる。

だから。
今の状態で満足な事を、
人に言う時は十分に気をつけなければならない。
なぜならば。
言った瞬間。
それが言葉となって放たれるとき、
その瞬間。
何かが変わってしまうのだ。

なもんで。
これからの季節。
『風邪なんて数年ひいてないよー』
なーんて言うのはもってのほかです。ハイ。

p.s. 英語にtouch woodとかknock on woodという言葉があるので
この法則は世間的には周知の事実なのか?

2008年11月10日月曜日

履歴書に載らない履歴 #4

えーっと。
この特集、自己満足のために完結させます。

28歳。再度ベルリン。
日本の雑誌から仕事をもらい、とあるデザイン調査。
ベルリンの街で。
デパートや、スーパーなんかでであやしげに隠し撮り。

同じく28歳。
あやしげなイギリス在住日本人がベルリンに出すレストラン物件調査。
しかし、この男。出で立ちは。
ロングコートを翻し~。
青い靴の時は青い眼鏡。
赤い靴の時は赤い眼鏡。
だれもが振り向くマフィア風。
ジャパニーズマフィアか!?
ということでビビって辞める。

29歳。
美容室の受付&掃除。
ジャパニーズマフィア風の仕事とぶつかり。
2日ほど都合の悪い日を言ったらクビ。

30歳。
なぜか今度は。
オーストラリア、メルボルン。
大学生の寮で食事を作る。
しかし、
動作がトロイので1日でクビ。

次。カフェで皿洗い。
死ぬほど洗ったが。
これまたトロかったのでクビ。

次。香港人ボズのジャパニーズレストラン。
12日間オーストラリアの砂漠をウロウロしている間に。
籍は抹消されていた…。

次。フラットメイトが大工だったので。
大工見習い。
ネイルガンの使い方をマスターする。

31歳。
再度ベルリンに戻る。
なんだかんだテキトーな事を言い。
テレビプロダクションに1ヶ月の試し期間をもらう。
毎日、わからんドイツ語の電話に出、
こわーいゲルマン女に。
なんでこんなわけのわからんのがいるんだ。
という視線にも耐えかねること1ヶ月。
あー。ゲルマン世界は厳しいのお~。
ってことで終わる。

次。ウェイトレス。
なんかグラスの拭き方にうるさいゲルマンボスだったことしか記憶なし。

次。超過酷ウェイトレス。
一日、10kmはレストラン内で歩いたと思われる。
年は下だが、こわーいお姉ちゃんたちにしごかれ。
もう、頭も狂いかけていたのでどう終わったか記憶なし。

次。カメラマン。
安ギャラで、何日もかけ、
様々な場所で40カットも撮り、
アシスタントに金を払えば。
あれ?わたくしのギャラは~?
という始末。

で、31歳の冬。日本へ、ゴー。

以上。多少飛ばしたが。
続かなかった、続けなかった、短期バイト集。
履歴書に載らない履歴。
これにて完。

あー。スッキリした。
(↑単なる自己満足)

参照 履歴書に載らない履歴 #1履歴書に載らない履歴 #2履歴書に載らない履歴 #3

2008年11月8日土曜日

履歴書に載らない履歴 #3

ハイ。履歴書に載らない履歴集その3。
ドイツまで来ました。
猫も杓子もドイツ語を操り。
犬だってドイツ語を理解する。
そんな国において、
ドイツ語レベルが犬以下のハンディを背負った人間に。
どんな職があるのか!

27歳、夏。ドイツ ミュンヘン。
いきなり。
デパートの地下食品売り場でスシを一人で売る。
周りはガタイのよいブッチャー。魚屋のオバハンとか。
そんなゲルマン労働者に囲まれ。
ときどき、「ほれ、これ食え」とか言われたりしつつ。
スシを売る。
最後に、従業員エレベータに乗り。
(これがドアもなく、しかも止まらないため、飛び乗って飛び降りる)
売上金をデパートの経理っぽい人に渡す。
で、裏門から出たら。
皆、たばこぷか~。みたいな。
そんなドイツ労働者階級の仲間入りをした。
そんな夏もつかの間。
ベルリンに向うため辞める。

27歳、冬。ドイツ。
こんどはカメラマン。
12日間で、ドイツ14都市を巡りドイツパンの取材。
慌てて足りない機材をそろえ、機材に8万円相当を使うも。
なんせ、なんちゃってカメラマン。
日本で見た事もない電球に使うフィルターを間違えたり。
あわててカメラの裏蓋開けてしまったり(フィルム時代です)。
あー。そういえば、
サブカメラを2階から落としたりもした。
夜は買ってきたパンをひたすらホテルで撮影し。
もうすでにパンの食い過ぎで味のわからなくなったライターの代わりにパンを食い。
パンの感想を言う。
そんな12日間で出来たパンの本は。
サイテーな出来であった。

27歳、冬。
さむーく、くらーい、ベルリン。
ドイツ語犬以下の身分なもので。
とりあえず日本食レストランで働くも。
そこに日本人はいなかったー。
「キツイけどそのうち慣れるからね」とタイ人のお姉さんはドイツ語で言った…。
さむーく、くらーい冬の先進国で。
小奇麗なレストランの地下では。
トロピカルな国から来た人々が、
地下でガムシャラになって働く。あの光景は。
インディアナ・ジョーンズ2に出てくる。
囚われた人々が鎖につながれ働くあの場所であった。
1週間で去る。


27歳、冬。ベルリン。
日本食品店にて店番。
一人で店を開け、一人で店番をし、店を閉める。
客は、ドイツ人、日本人両方来るが。
一日15人くらい。
まあ、気楽だがかなり暇。
私のビザがそろそろ切れるという理由で。
4ヶ月で終わってしまった。
ってかビザ出せよー。

28歳、夏。東京。
出稼ぎに1ヶ月半ほど日本に滞在。
月曜日から金曜日まで。1ヶ月半。
ひたすらコピー機の前で8時間、コピーを取る。
山と積まれたファイルを。ほどきコピーする。
そのファイルの山は、ビルの1フロア分。
一人でやる。
ピカーッと光が通ったら。
次の紙を入れる。
これだけの作業を8時間。立ったまま。
そして、ビルワンフロア分の紙。
いくらやっても焼け石に水。
エンドレス。
数々の単純労働を経験してきたが。
これはなかなかその極意であった。
単純労働で、かつ無意味な作業。
そして。
考えることを放棄しマシーンになることは。
どんな人間にとっても拷問である。
との持論はここにて完成される。

うーん。28歳か。まだ終わりませんなあ。
最後の東京のコピーはキツかった…。
この後、このコピー報酬をもって再びベルリンに渡ります。
次→履歴書に載らない履歴 #4

2008年11月3日月曜日

履歴書に載らない履歴 #2

続けなかった、続かなかった。
短期バイト特集その2。
年と共に学び、M度は下がるのか!?

21歳、秋。
某カメラメーカーでレンズの組み立てをする。
ネジ山を潰しつつ、なんとなく組み立て。
私によるMade in Japanはその品格を下げる。
後に自らをカメラマンと名乗る時代が来るのだが。
レンズの組み立てから下積みしたカメラマンは。
そういないはず。
工場閉鎖により、作業は4ヶ月ほどで終了。

25歳。
張り紙を見つけ、個人のカメラアシスタントに就く。
とある日。
我々はロシア製ポンコツジープに乗り、東京駅周辺にいた。
車で次の撮影地青山へ向かうも。
車は渋滞。もうアウトの時間。
ボスは編集者に電話をする。
「すみません。渋滞してましてー。あと10分で着きます」
(あと。10分?この渋滞で?ハッタリかな?)
10分後。
「あれ~。着かないなあ」とボス。
(エ~ッ!本気か!?バカか。こいつは)

アシスタントにも撮影させ、撮影者として名前も載せてくれた。
よい人であった。
でも。
金と時間の計算ができない男であった。
3ヶ月で去る。

26歳、夏。
ドイツへ行くぞー。オー!
ということで、バイト掛け持ち。
昼は某テレビ局の『島流し部署』に勤務。
『島流し部署』というだけあって。仕事なんてほとんどない。
一日8時間、ボーッとワイドショーを見たり(当然その局の番組)、
廊下でフリスビーして遊んだりして金をもらう。
夜6時になると、華やかな世界の中の『島流し部署』から一転、
自転車で次の勤務地へと向かい。
夜6時30からは商標&知的財産取得代行会社で。
ファックス流しを3時間。
さすがに掛け持ちで毎日眠く。
掛け持ち期間は2, 3ヶ月で終了。


27歳、春。ドイツ・ミュンヘン。
ドイツ到着3ヶ月後。
ドイツ語もグーテン・タークと数字しか言えないレベルのまま。
なぜか、レストランのクローク&予約受付電話番のバイトに就く。
日本食レストランでも当然、
かかってくる電話すべてドイツ語。
全くわからん。
しかし、わからんと言っていてはクビになるので。
時間と人数と名前とスペルはとりあえず必死で聞く。
恐怖の電話番だが、人間なれるもんで恐怖慣れもし。
またもやテキトーにこなす。
3ヶ月後、この店からデパ地下食品売り場に派遣されたため。
ガルドロベ(ドイツ語でクロークのこと)終了。

うーん。27歳、ドイツまで来ました。
しかし。まあ。
世の中、頭を使う仕事はなかなかさせてくれません。
次回はドイツブルーワーカー集。
日本を離れてもブルーワーカーは続く。

p.s. 今回も半年を超える仕事は省いております。
次→履歴書に載らない履歴 #3

2008年11月1日土曜日

履歴書に載らない履歴 #1

思い返せばほんとうにいろんな仕事をしてきた。
人は家賃を払うため、食うため、生きるために働くが。
そんな最低限のことを守るために。
最低限だからこそ、
おかしなことをする。
以下、私が履歴書に書かない、
短期バイト集。

16歳の夏、初めてのバイト。
デニーズで働くも、
『いらっしゃいませ~、デニーズへようこそ』
『おしぼりをどうぞ』
というせりふに。アホかと思い。
結局言わないままデニーズを去る。

19歳の夏、トチ狂ったことをする。
自分は田舎が合うのではと思い。
式根島にリゾートバイトの履歴書を送った。
『お返事頂ければ災いです』と書いた。
それを『さいわい』と読まないと知ったのは後のことであった…。
ともかく。
『災い』にも採用され、式根島に赴くも。
3日後に、婆さんを勝手に危篤にし、
母ちゃんと電話で空芝居までして。
東京行きの船に乗り込んだ。
3日で退散。
私は、東京の人であった。と認識する。

同じく19歳の夏。
スーパーで試食をススめるオバハンを数日やる。
1日中「いかがですかー?」しか言わず、
頭が狂いかける。
マネキンと言われる意味がわかった。

引越のバイトもこの年にやる。
らくらく引越パック。
人んちの物を勝手に詰めるのだが。
やるほうもやられるほうも。
いい気はしない。
金があってもそんな人にはなるまいと誓う。

21歳のとき、接客だけはさけようと。
見知らぬ街でピザの配達をするも。
方向音痴のため、30分以内で届けられず、
いつも冷えたビザとクーポンを配りまくる。
そして、ポスティング。
抜き打ち検査に怯えながらも、一軒に2枚ずついれたりする。
1ヶ月で自主的に退散。

同じく21歳のとき。
行列するパン屋でクロワッサンを作るも。
生地を手のひらにのせ、手をこすり合わせ生地を巻く。
というこの3秒足らずの行為を。
6時間繰り返すのみ。
3秒×6時間は長かった…。
2週間で退散。

同じく21歳。
コンビニを1日3店巡り、
店に存在する全ての商品をカウントするというバイトをする。
カールのチーズ味。
にー、しー、ろー、やー、とぉ。にー。だから12。
といった調子で全てカウント。
毎日。に、しー、ろー、やー、とぉ。
を、一日中繰り返す。
頭が狂う。
当然、カウントも途中から狂うので。
にー、しー、ろー、やー、だから16。いや26かな。あれ?
とりあえず、20くらいにしよ。と意味不明のカウントになり。
まあ。世の中には意味のない仕事があるもんだ。
と思いながらも、2ヶ月くらいやった。

犬の子守りバイトも数週間やった。
これは楽しかったねえ。

うーん。まだ21歳か。
21歳以降は次回へと続く→。履歴書に載らない履歴 #2

p.s.半年以上の仕事は省いております。