2009年2月23日月曜日

生活とアイデンティティ

日々の生活のために働くなんて哀しい。
とかよく言うけれど。
生活のために働くのは。
決して。哀しい事でも虚しいことでもない。
だって。
生活はアイデンティティだから。

2009年2月21日土曜日

言葉は怖い

とあるレストランにて。
身体どっか痛い?という話題になった。
ンー。痛いとこはないねえ。
なんか腰とか痛い人って多いよね。
そーゆーのないんだよねぇガハハ。
と言い放った私。
その直後。
大荷物を背負いヘンな体勢でスクーターで帰宅。
あれ?腰がイテー。

もー。この物事反転する力。
言葉は本当に恐ろしい…。

やっぱり誰か上から見てる…。

2009年2月14日土曜日

動いている事は美徳か

食料品店にて。
袋はいりません。というと。
大概、シールを貼る。
品物3点なら、3点に。
まだ貼っていないものをしまおうとすると。
『失礼します』とかなんとか言い、
義務感にかられ、あたふたと貼る。

まあ。理由はわかる。
買ったという印だ。
しかし、それが10点にもなると。
まったく貼ろうともしない。
では。
その3点に慌てて貼っていた。
君のあの行動は一体何だったのか。
君の義務感は何だったのか。

君の義務感とは。
テープを貼らなきゃいけない義務でなく。
手持ち無沙汰を恐れるがための呪縛ではないのか。
(それが社のルールであっても)

すべての事に意味は求めないが。
もー。なんせ日々遭遇することだけに。
もー。首尾一貫希望。

この仮説が合っているとしたら。
動いていることが建前であり。
動いていることが美徳で。
なーんだか。
文化レベルを疑ってしまう。
もっと。世の中は。
のんべんタラリンとしてよいのだ。

p.s.  成×石×とか、カ×ディコ×ヒ×でこの行動は顕著に見られる。

疑問: 輪廻の輪の始まり

輪廻転生というのは。
社会的にそれなりの地位というか。
認識を得ているし。
私も。
何となくそのようなものを思っている。
(参照:ひでー話 )
しかーし。
大いに疑問もある。

では。
その輪廻の輪はどこからスタートしたのか。
現在、地球に67億人いるが。
最初から67億個の輪というか。
67億個の生命と魂があったわけではない。
つまり。
生まれ変わり以外の魂と生命体があるということになる。
では。輪廻転生の世界観の中では。
それらはどこから来たことになるのか。

まあ。
こーゆ話に明るいわけではないので。
その世界での見解は知らんが。
結局。
人には知り得ない事だと私は思っている。
中島らもは、
人間が知り得ないことについて。
おもしろい見解をしている。

結局。
アリはアリの世界で生き。
その中だけの価値観。
その中だけのスケールでしかものを見れない。
それ以上の世界を見ることはなく。
見たとしたらそのあまりの大きさにショックで死んでしまうだろう。
これは、おそらく人間にもあてはまり。
人間の知り得ないことは人間である以上知る由も術もなく。
知ってしまったら、あまりの大きさに対処できないのではないか。
ということで。その仕組み上。
人間は真理を知ることができない。

というようなことを言っていた。
うーん。
知らない世界があるってこと以上のことは。
知り得ないというわけですなぁ。
ってなわけで。
ジタバタしてもしょうがないのである。

2009年2月12日木曜日

おこがましい表現: 伸ばす

私は昔から。
『伸ばす』という表現が大嫌いだ。
××を伸ばしたほうがよいかと思って~。
と人が言うとき。
それは。
既に××がある一定以上で。
人並み以上であることを示す。
そして。
それを得たら、
自分にとって何かプラスになり。
社会的によい方向へ向かうという意味合いも含む。
(まあ。概して、キャリアとかそういったものだ)

で。大概、そーゆ発言をする人に限って。
××は、別にねぇ…?といったレベルである。

で。
××が『英語』だとさらに腹立たしいのだ。
(参照: 英語崇拝 )
英語を伸ばそうかと思って~。
なーんて言う女子とは。
あまりお友達になりたいとは思わん。
やろうかと思ってー。
と言えばよいのである。

p.s. しかしまあ。私はホント女子が嫌いですねぇ。なんだ?カルマか。

2009年2月7日土曜日

美学: 有言ムリヤリ実行

20歳のとき働いていた会社で。
いつも。
「私、来月くらいに辞めるからさぁ」
と言い続けていたお局がいた。
数ヶ月たっても同じことを言う。
とても格好悪いと思った。
で。
私は1年後、21歳の時、
そこを辞めたのだが。
辞表を出すまで誰にも言わなかった。
お局はとてもびっくりしていた。
心の中で。
見たかー!お局。こうやって辞めるんだ!
生きる美学を持て!
と言った。

自分自身の言葉に重みをつけられるのは自分だけだ。

2年間プータローとして極寒の地ベルリンで生活し。
それも終焉を迎えるころ。
もうドイツ語も極寒もたくさん。
日本に戻ったら、
わたしゃ、半年後にオーストラリアに行くー!
と宣言した。
日本に戻って半年暮すうちに。
勝手がわかっている自国で。
それなりに友達もいて。
家もあって。ごはんも旨い。
日本を出るのが面倒になった。
しかーし。
私は、言ってしまったのだ。
そう。宣言してしまったのだ。
で。
また、鞄一個で当てもない南半球へと向かわねばならなかった。
行かなくてもよかった。
でも。行った。
だって。言っちゃったんだもん…。

言葉というのは。
本来それくらい重みのあるものなのだ。

私には。
あの20歳当時からのそんな美学がある(<--一応ね)。
言ったことはやる。
できなくてもやる。
やらないことは言わない。
できないことも言わない。
できないかもしれないことも言わない。
それはできてから言う。

しかーし。
かく言う私もこの美学に反することがある。
今日はもう食わん。痩せるー。
と誓った2時間後には食っている。

もう。痩せると言うのは辞める…。
いや。これぞ。
有言ムリヤリ実行すべきか。

2009年2月2日月曜日

元旦のよろしくメール

遡ること一ヶ月ほど前。
日本の女子たちはしきりに。
ケータイから発信した。

元旦の日本。
ニッポンの空を見上げると。
『今年もヨロシクーっ!』
『ヨロシクねーっ!』
『うん。ヨロシクーっ!』
『ヨロシクーーっ!』
という一行だけの文面が。
恐ろしい数飛び交っていた。

そして。
私も、女子の端くれとしてそれを受け取った一人。
しかし。
そんな一行に。
私はなんと答えればよいのか。

こちらこそヨロシクねー。
そんなつまらんメールは。
私には書けない…。
そして。
きっと。
来年の元旦にも書けない…。

で、それは。
11ヶ月後にまたやってくる。
どーしよ。