2009年4月25日土曜日

天気と文句と老化

寒いだ。暑いだと。
私もよく言うが。
よーく考えてみれば。
子供の頃はそんなこと言わなかった…。

しかし。大人になると。
雨でがっかりしてみたり。
湿気が多いだとか。
4月なのに寒いだとか。
なかなか春が来ないだとか。
不満を口にするようになる。

そもそも4月になったらこういう季節だ。
というのも。
いわゆる前例の積み重ねで。
そんなものは地球の異常気象と共に変わるもんで。
時代と共に変わり。
変化する常識と同じである。
(参照: はかなき常識 )

その日ある天気さえを。
感想なしに受け入れられないようでは。
人が日々ありとあらゆることに、
ストレスを抱えるのは当たり前なわけで…。
天気に対して文句を言ったとき。
人は自らのことを。
あー。年だと認識したいもんだ。
そして。
責めるべくは天気でなく。
老化した自分の頭と感性である。

望ましくは。
「雨だ」で終わり。
そのあとに「……」という感想はない。

今日は春なのに寒い。そして雨。
ちょっとがっかり。
そして私は。
自分の老化した感性にがっかりしなければならない。

2009年4月23日木曜日

棚からぼたもち論

私は金に貪欲になりたくない。
なぜならば貪欲になればなるほど。
そういうものはすり抜けてゆく。
だから。
プレゼントも、自分の収入とバランスが悪くとも。
関係なくあげたいものを渡す。
それにより来月金がちょっと心配になってもよい。
金は追わない。

しかーし。
『追うと逃げるから追わない』というのは。
実は欲しいわけで…。
『追うと逃げるから追わない』というのは。
実は追っている。
つまり。
本当に『追わない』というのは。
それさえ思わない境地に達することだが。
『思わない』ということ時点では既に思っている。
つまり。
『思わない』って思っていることさえも気付かない。
そーんな境地に達しないと。
棚からぼたもちは落ちないのである。

「そんなこと思っていないしー」
なーんて言うのは甘いのだ。

2009年4月17日金曜日

年齢の認識

15歳のとき。
もう年は取るのはいやだ。と思った。
それは。
あー。もう16歳になってしまう~ッ。
という焦りであり。
いわゆる、大人がよく言う。
もー。30になっちゃう~ッ。
的な焦りと同じ感覚であった。
それが16歳で始まっただけである。

それ以来ずっと誕生日は。
もー。18歳になってしまった。とか
あーあ。もう24歳だ。
という繰り返しであり。
自分の思い描くxx歳の絵図らとの距離。
その暗黙のタイムリミットに対する戦いであった。

そのうち。
年齢は自然と頭の中から排除された。
実際、32歳のころは。
年齢を聞かれて、あれ?何歳だっけ?
なーんてこともあった。

それが、諦めというか。
1年くらい前、34歳くらいからどーでもよくなった。
一生懸命隠していた白髪も染めるのをやめた。白髪全開。
(まあ。ちょっと恥ずかしいときもある)
いや。別に身なりがどうでもよくなったわけでなく。
身なりはきちんとおしゃれでありたいし。
気を遣いたい。
ただ認識したいのだ。

そう。わたしは中年。
35歳なのだ。

いやあ。ほんと。
16歳から無意味な長い戦いであった。
無駄な抵抗はやめた。
絶対的事実として、時は過ぎてゆく。
年齢を受け入れられないのは哀しい。
年齢を日々認識して生きていくほうが。
若くありたいと願い、そう見せかけるよりも。
ハッピーで前に進むのだ。

16歳から約20年。
やっと。
年齢を超えた…。

次は性別を超えたりして(笑)
ンー。それはいいのかー!