2010年7月22日木曜日

ドイツの電気の配線(照明器具)

****鍛える生活、 番外編 ****
どうやら。
ドイツの電気配線がわからず。
ネットをさまよっている人々が。
少なからずいる模様なので。
私が身体を張って得た、
ドイツ、電気配線のまめ知識を紹介します。

基本的にIKEAなんかで照明器具を買うと。
(天井から吊るすタイプ)
ブルーとベージュの線が出ています。

しかーし。
ドイツの天井からは。
様々な色の線がピロロンっとでています。
3本出ていたり、4本出ていたりします。
で、問題なのは。
照明器具の線と色が合わなかったり。
ケーブルの数が合わなかったりするのです。

以下、ケーブルの色と対策:

天井から3本のケーブルがあり以下の色の場合:
*黄色と緑 → アース 無視
* 水色  →照明器具の水色の線につなぐ
* 黒 → 照明器具のベージュの線につなぐ

天井から4本とか5本のケーブルがある場合は、
黒が何本もあったりするが黒の線は無視。
ベージュと水色の線があると思うので。
それに色を合わせてつなげる。

配線を間違えると爆発の危険があるので。
ブレーカーを落としてやりましょう。
あと。感電死の危険があるので。
(エレキギターで感電死ほど有名になれません)
濡れた手は厳禁。
配線をし終わったら。
ブレーカーを上げ。
一応。爆破に備え。
盾を持ってスイッチオン。
(↑私はちゃんとドアを盾にしてやりました)

電気、付きましたかー?

以上。
p.s. 感電、爆破の責任は終えません…。

2010年7月19日月曜日

ドイツで鍛える生活 #28

**** 修行の結末とは ****
ボクは家族と友人がいる土地で暮らしたい。
彼らが一番大事だから。

7年前。
オーストラリアの砂漠のど真ん中で。
とある旅人のデンマークの青年が言った言葉である。
**************

私の休暇は。
都会に出ることに焦点が当てられている。
まあ。言ってみれば。
都会の人が自然へ逃避して充電する逆バージョンで。
多様さを受け入れる社会と。
おしゃれに気を使うそのパリっとした雰囲気とかで。
私は。都会にて充電されるわけです。

そんなわけで。今回。
お友達もいるしー。と。
デザイン王国、フィンランド。
ヘルシンキに行ってきましたー。

きゃー。マリメッコ。
きゃー。イッタラ。
デザインが身近にある世界って素晴らしい!と。
大いに俗世間に呑まれ。
大いに買い物し。

フィンランドといえば。
森でしょ。と。山の中へも行き。
帰りのバスがない…。もしや野宿?
という危機にも。
キャッ。キャッ。と楽しく過ごしていた。

実は。これ。
私にとって、何が非日常であったかというと。
都会云々より。
この期間だけ私は一人でなかったのだ。

何かを見て。
「ねえ。これどう思う?」
と聞く事ができるという信頼感。
「これ、いいよねー」
と共感を求めることができるという心地よさ。
野宿の危機。となっても笑えるという安心感。
そんな危機。一人だったら世界の終わりでしょ…。
それが友人らが横にいるだけで。
笑いに変わるのである。
人がいる。ってすごい…。と思った。

そう。ここ最近。
私はこの『ドイツで鍛える生活』の終焉が。
見えてきた気がするのである。
この修行は(←勝手に修行にしている)結局。
人は一人では生きられない。
と言う事を学ぶための修行だったのではなかろうかと。
こんなフツーな事を発言するのは。
非常に。むしずが走るのであるが。
それを体感する修行だった気がしてならない。

『ボクは家族と友人がいる土地で暮らしたい』
これが、7年たっても忘れられないのは。
たぶん。
この言葉がどこか真理に近いからかもしれない。

人は一人では生きられない。

やれやれ。
こんな誰でも知っている。
フツーな結論を得るために。
友達ひとりとしていない土地に送り込まれ。
(まあ。自分で来たのですが…)
こんなフツーでない生活を送っているかーっ。
で。このフツーな結末…。
なにそれ。


妙にシンメトリーな
フィンランドの森。



で。こんななデザイン。
(フィンエアーのsalt & papper )


2010年7月7日水曜日

ドイツで鍛える生活 #27

**** 想像するが負け ****

私の座右の銘(?)
自分の努力と無関係な場合。
想像した事は起きない↓
(続2)自説: 想像したことは起きない

たとえば。ヒコーキで。
隣にイケているお兄ちゃん/ お姉ちゃんが偶然座って。
そっからなんか始まったりして〜。
なーんて想像した時点で。
君。それは確実に起きない。
そーゆのは想像しない邪心がない人にだけに。
不意に訪れるものなのだ。
なもんで。
間違った対策かもしれんが。
私は。日々、悪い事を想像しておく↓
自説: 想像した事は起きない

先日。わけあって。
洗濯機用の蛇口を一度閉めたのだが。
それ以来、その蛇口からは。
水が出なくなってしまった。
ホースを外し蛇口を捻っても全く水が出ない…。
ガーン…。

洗濯機のある生活。
これを手にいれるまでは長い道のりだった。
そして。
生活とはここまでコントになり得るのか。
というくらいの労力を使った洗濯機の設置。
(参照: ドイツで鍛える生活 #11 )
それからたった4ヶ月。
今度は水が出ない…。
自力での修理もギブアップ。
もー。悔しいやら悲しいやら。
結局。
管理人が翌々日に来てくれる事となったのだが…。

ここで新たな問題が…。
これだけ『蛇口から出ないんです!』と主張しおいて。
水が『ジャー』と出てしまったら目も当てられない。
最悪の事態を想像し、その日から。毎日。
2時間置きに蛇口を開けては。
『よし、やっぱり出ない』と確認。
(なんか期待値が逆であるが…)
当日の朝も。管理人が来る30分前に最終確認。
『よし。やっぱり。水は出ない』
そして管理人が来た。

『ほーら。水が出ないでしょ』と、
私が蛇口を捻った瞬間。
出た。水が…。
『ジャー、ジャー』って出た…。
『…… 』

あり得ん…。
なんじゃー。
このオチを与えられる人生はー。

で。その瞬間。何か。
自分の後ろで(いや、上かもっ!)
何かが高らかに笑っている気がした。
やられたー!

絶対、誰かが上から見ていて。
すべて見透かし、何かを操作している…。
頭の中も何もかも見透かされている…。
想像したら起きないから。と。
邪心で想像しいるのも見透かされている…。

この摂理を回避するには。
無心になること。
見透かされても何も見られないこと。
そう。目指すはやっぱり『無』!
この蛇口事件を通して。
無心になることが人生の鍵になる。と。
体感したのでした。

ま。今回。絶対。
上で笑いころげていたに違いない。
いたずらすぎる…。

私は。無になりたい…。