2012年10月21日日曜日

本もどき版:ドイツで鍛える生活 17巻

ドイツで鍛える生活 17巻アップ
いよいよドイツ撤退。
しかし、パッキングに使うガムテープを街で探すこと4日。
ドイツに普通のガムテープってないの〜?
世の中ってずいぶん違うのね…。

2012年10月12日金曜日

本もどき版:ドイツで鍛える生活 16巻

ドイツで鍛える生活 16巻アップ。

究極の自由は常に孤独とセット。
バイバイ、ロンリネス。
バイバイ、フリーダム。

いよいよ。勤務最終日です。

2012年9月30日日曜日

本もどき版;ドイツで鍛える生活 15巻

ドイツで鍛える生活 15巻アップ。
日本食がおいしいというのは世界共通ではなかった…。
そして、ルーマニアの独裁者、チャウシェスクだって責めた。
そんな会社での最後のランチ。
その他、スシを背負って生きること。などなど。

2012年9月23日日曜日

本もどき版: ドイツで鍛える生活 14巻

ドイツで鍛える生活14巻アップ。
海外では会社を辞めるときはコソコソするのか?
最終日はどうするのか?
その他、海外で1人で働くということは〜?という話と。
日本人はなかなか言わないわな〜という、
自己紹介でのオモシロ趣味。などなど。

2012年9月19日水曜日

本もどき版:ドイツで鍛える生活 13巻

ドイツで鍛える生活 13巻アップ。
ドイツ人宅でのうどんクッキング会(珍発言あり)。
そしてなんとマユゲが辞表を提出!

2012年9月10日月曜日

本もどき版: ドイツで鍛える生活 12巻

ドイツで鍛える生活 12巻 アップ。
あんな不便な生活の中、なぜドイツ人たちはフツーに暮らせるのか。
そのからくりを。

2012年9月2日日曜日

ドイツで鍛える生活 10巻、11巻アップ

申し遅れましたが既に先週
ドイツで鍛える生活10巻アップ。
で。本日。
ドイツで鍛える生活11巻アップ。

街中の水が止まったり、パン屋でパン買うだけで店員に起こられたり、日本で起こりえないことが次々と起こります。ハイ。

2012年8月12日日曜日

本もどき版:ドイツで鍛える生活 9巻

本もどき版: ドイツで鍛える生活 9巻アップ。
わたくし、マユゲが全ドイツ国民、
そして。全ルーマニア国民を愛した瞬間!
もう、今読み返しても泣けるっ(←私だけかも笑)。
感動の9巻!
あー。ほんと。泣ける笑。

2012年8月5日日曜日

本もどき版:ドイツで鍛える生活 8巻

本もどき版:ドイツで鍛える生活 8巻アップ。
なんと。リューベック撤退に向け動き出したマユゲ。
パリで妙なアルジェリア人に出くわしたり、
カンヌに誘われたり、迷走中…。
参考文献として、
履歴書に載らない履歴集もアップ。
16歳からの3カ国、4都市、+1島に渡る、
ヘボい短期バイト体験記。その数なんと30職。

2012年4月3日火曜日

地震と備えと道徳と我欲

                     *    *    *
わたくし。実は。
命綱を買う癖(へき)がありまして…。
引越しすると、
まず脱出用の命綱を買うのです。

前住んでいた家は5階だったので、
引越し早々、東急ハンズに赴き、
マグロ漁用のロープを購入。
(マグロ漁用なら強度は十分であろうという発想)
ステップ用に1mおきに結び目を作った。

その次に引越ししたドイツの家も5階。
新天地で街の右も左も分からない状態のまま
Do it yourself shopだけは目ざとく見つけ、
ロープを30mほど買い。
また1M置きに結び目を作った。
(これ、ドイツで買ったロープ↓)


















つまり。私は。なんかあったとき。
救急隊が来て助けてくれるとか。
そういうのを全く信じてないのです。
それどころか。
大火事で黒煙がモクモクと上がる中。
隣人がすす汚れた顔で
「私にもロープをくださ〜い!」
と泣きつかれたらどうしようと思い。
いざとなったら隣人に投げようと、
顔も名前も知らぬお隣りさんのロープまで買ってしまい。
数年間、隣人の命綱までこっそり持っていたくらいである。
(この綱の出番はなかった)

そんなわけで。私的には。
ロープとかなーんも持たずに。
ボケ〜っと2階以上に住んでいる人とか。
全く信じられんのです。

そんな『自らの身は自らで守る』的な姿勢なもんで。
大地震が起こると言われる昨今。
備えも気が狂うくらいしそうなもんであるが。
これがどっこい。
全くしていないのである。

そういや、25年くらい前であったか。
やっぱり地震が来るという噂があり、
新聞にまで載ったが…来ず、予言者は失踪する。
という騒ぎがあった。

当時、子供だった私は
地震用リュックを用意した。
水に、犬のリードに、ドックフード、犬のうんち袋。
ともかく、大事な飼い犬のものばかり詰め込み。
自分のものはパンツ2枚くらいしか入れなかったと記憶する。
しかし。昼間はリュックそっちのけで学校に行く訳だし。
大災害時、うんち袋とかどうでもよいだろっ!という、
まったくもって頭悪そうな地震の備えであった。

ま。若さというのはバカである。
もっと遡った時代。ミントの飴を初めて舐めた時は。
『おお。これはハミガキという行為と同じだ。しかも楽チン!』
というわけで。
ミント飴をハミガキにしていたこともあった。

話は脱線したが、
まあ。年も重ねるといろんな事態を想定できてしまうので。
いざ。地震用に水なんかを蓄えておくのはよいけれど…。
しかしですねえ…。となり、
純粋に地震リュックとか作れないのです。

大災害となると、皆が水を欲しがるわけで。
皆が「水を〜っ!となっている中」
自分だけそれをクイクイって飲むのか。
という話になるわけで…。
やっぱり道徳心としては。
持っていない人にに分け与えねばならぬ。
ということになる。つまり。
地震の備えをしても自らを助けることには。
なーんもならないわけです。
皆が皆、備えてくれないと意味がない。
火事の時みたいに、隣人のロープも買えば解決。
とはならない。
じゃあ。皆にちゃんと水を備えましょう。と。
啓蒙すればいいかというと。
全員が備えてくれるというのはほとんど不可能に近い。

というのも。
皆、100%の人々に何かを強いるには。
もはや、軍隊と刑務所でしかありえない。

昨今。君が代斉唱で、やれ歌わなかったとか、
やれ、口パクだったとかで
処分だとかで問題になっているが。
そもそも。
全員に何かを強要するというのが不可能である。

まあ。個人的には『歌いましょう』と言ったら、
日本社会ならば、まあ9割以上の人が歌うわけで。
それでちゃんと『斉唱』という儀式が成立するんだから、
まあいいじゃないか。クチパクで抵抗なんて、
いじらしく、かわいらしいではないかと思うのだが…。
それに。
成熟した社会はある程度の『のりしろ』があって然るべきである。
いろんな人がいる。それでええではないか。
『のりしろ』がない社会は幼なすぎる。

また話が脱線したが。
もう全員が歌うとか歌わないとかは問題じゃないのーっ。
もう全員が水を用意してくれないとーーーっ。
地震用の水。自分で備えても。これ…。
自分には回ってこないんでしょー。
良心の呵責と戦って。
ええかっこして、水、渡しちゃうんでしょ。
ってなわけで、地震の備えは後回しになっているのです。

ま。とりあえず。
意味ある地震の備えは。なんだろ。
一番高いギターをハードケースにでも入れておきましょうか…。
ねえ。

2012年3月25日日曜日

白髪を巡る冒険と考察

                         *  *  *
「カツラが世の中に受け入れられないのは、
ないもの『ゼロ』を無理矢理あること『1』にするからで〜、
で。化粧が受け入れられるのは。
元々あるもの =1に対し
『1+α 』であるからだと思うのよね。
で、だよ。じゃあ白髪染めはどうなのか?というと。
白という無色は、ある意味『ゼロ』なわけよ。
で。それに無理やり黒(注1)を入れるから、
(注1) ここで言う黒は黒だろうと茶であろうと同じ。
カツラと同じ『 0から1 』のプロセスで。
実は。構造的にカツラと近いわけよ、でね…」

                   * * * * * * * * *
またやっている…。
代官山、深夜1時のカフェ。
クラブに行く前に『ちょっと茶』で集う人々や、
ソファーに座って読書をするカップルがいる店内で。
(ってか、深夜にわざわざ読書しにカフェ来るのか〜 ?まあ。近所の人なんだろうけど)
白髪論を熱く語っているのが…私。

そう。私。基本的に怒ったり熱くなったりしないのだが
こと、白髪のこととなると熱いのである。
というのも…。

25歳で両サイドの内側に数十本ずつ出始め。
31歳ではもう白髪染めに手を出さざるを得ない状態に。
34歳でその切なさに耐えきれず、白髪染めを辞め…。
35歳で局地的な白髪率は30~40%を超えている状態に。
もう。こと白髪との戦いに関しては。
50代後半並みの経験値があるのだ。
(つまり。成人してから全部黒い髪が生えて来る時代が、
20歳から24歳の4年間しかなかったことになる。ヒョ〜っ。)
で。この件になると
染めればいいじゃん的な軽いノリの周りに。
「真っ黒なテメエらに何がわかる。てやんで〜っ!」
という心境になってしまうのである。

私が思うに男性の白髪は。
坂本龍一を筆頭に、それなりの地位を得ている。
(↑今はそれなりの年だが、早くからグレーだった)
オシャレにキメようと思えばそれなりにできるし、
実際、そんな男も街中にいたりで。
逆に白髪染めで黒いほうが引くらいである。
(加山雄三とかビミョ〜よね…)

で。ハゲはハゲで。『全部剃る』という形で、
オシャレ坊主という地位を獲得した感がある。
(竹中直人とか、ライムスター宇田丸とかね)
もしくは前頭からハゲた人は。
ソフトモヒカンみたいな山田五郎風にしたりと。
それなりの道がある。
しかし、女性の30代の白髪はキビしい…。
染めればいいじゃん。という白髪未経験の諸君。
それは。甘いのだよ…。

そう。白髪の問題は常に根元との戦いに尽きる。
染めた所で1週間もすれば根元は白くなる。
私に言わせれば、
白髪染めで隠しきれている人は皆無に等しい。
(電車の中で座っている人を頭上から片っ端、チェックしてほしい笑)

では。バーンと出ている白髪と。
根元が白いのはどちらが切ないか…。
『あ。白髪だったんだ。この人…』
と。後追いで知るのは切ない…。
それが美人だったりするともっと切ない。
黒髪ワンレンストレートの女性が、
振り返ったら結構なオバサンで。
『あ。すみません』って思ってしまうのと似ている。
切ないのである…。せつな〜い!

バレるのであれば。
最初から露出している方がいいのではないか?
で。34歳の時、私は白髪染めを辞めた。
それからは皆に会う度『ハア…』とか『すごいね…』と。
言葉にならない感想を数年言わせていたのだが、
その度に『何が言いたいんじゃー!オリャ〜っ。
すごいという言葉を使わずに言ってみろ〜!』
と思ったもんである。
(すごい。って言葉は便利な分、その含みの多さがなんとも相手を攻撃してしまうので私は気をつけよう思ったが、やっぱり便利だから使っている…。因果応報。周りに言ってしまっている言葉は自分にも返ってくるのである笑)

で。当時の私の目標が。
白髪でもカッコイイ女性の第一人者になってやろう。
というものだった。
服装もカッコよく人一倍気をつける。でも髪は白髪。
化粧も当然する。1 + αだからね。これは切なくない。
よく誤解されるのだが、
自然体を見てほしい。とかそんな自然主義は毛頭ない。
人は自然のままではキタナイ。と言って、
整形を重ねた中村うさぎだって私は支持するくらいだ。

つまり。私の矛先は自然とかそういうものでなく。
白髪染めの隠しきれない切なさであって。
白髪でも格好よく生きれるところを世間に証明してやる。
パイオニアになるのじゃー。ということだけだった。

だが…。ある日…。友人が。
「女が白髪ってさあ…鼻毛出して歩いてるのと同じだよね」と。

鼻毛ですかーー!ハナゲ〜っ。

なんと。この一言で。
私の戦っていた糸があっさり切れてしまったのだ。
世間と戦うことにも疲れていたらしい。
その3日後。美容院に行き。
『白髪が出てもわかんないくらい全体を明るくしてくれ』と。

私の頭は宝塚色になった。
帰り道、私の志を知っていた友人に連絡。
「もう髪の毛、宝塚だから…」
「えーっ。白髪で日本を変えるんじゃなかったのー?笑」

いや。私は。変えることができなかった。
私と白髪と世間とのながーい戦いは終わった。
そして。気分はすこぶる軽くなった。

           * * * * 白髪論、力説後 のカフェ* * * * *

「いやー。でも。マユゲさん、若返りましたよ」と。
年上なのになぜかいつも敬語のA君が切り出す。
「ほんと。ほんと。その鼻毛って言ってくれた友達に感謝だね。
よかったよかった」とN子。
「ま。女の人は黒くたって染めるわけで…、
白いから染めないっていうのも。おかしな話だよね。
だいたい髪の毛あっての話でしょ」と。
30代で禿げ、頭を全部剃っている J が言った 。

あれ〜。キミ達、私の構造の話、聞いてなかったんか〜っ?
というくらいあっさりした反応だったのであるが。
ともかく。私はこのまま宝塚頭で生きて行くことにした。
しかーし。
問題はこれ、いつ戻すのか。ということである。

70歳を超えた母は未だに染めていて、
90歳を超えるうちの婆さんも未だに染めている。
両者共、顔と頭が不自然に分離して見苦しく、
妖怪チックなのは言うまでもない。
そして。
世の中にはこんな人々が沢山いるのも事実…。
(皆、見慣れすぎ麻痺しているからなんも思ってないだろうけど)

まあ。私は白髪で日本を変えることはできなかったけど。
いつか白髪でもイケてる世の中になればいいなあと思う。
そんな日は来ないって?いやいや。
チョンマゲとか、あんなあり得ん髪型が、
カッコよかった時代もあったのですよ。
世の中の物差しは必ず時代と共に変わるのです。
妖怪チックなバアさんたち(稀にジイさんたち)が
解放される日もいつかきっと来る。
(まあ。今の人たちには間に合わないけど…)

しかしこれ…。
私と白髪との戦いは終わったのでなく。
染めてしまった今。
始まったばかりなのかもしれない…。あーあ。

2012年1月15日日曜日

ドイツ人とのTOKYO観光 - 後編 -

(今までの話→ 前編中編

このドイツ人の問題。
行きたいところがない…。
そして。この人の大問題。
電車に乗らない! 
(参照: ドイツ人とのTOKYO観光 - 前編中編
『お金もかかるしね。歩いていけるところいこうよ』という。
まあ。堅実ドイツ人なのだが…。
東京はね。広いんですよ…。

というわけで。
昼12時に青山のホテルにお迎えに行って以来。
ひたすら歩いている私たち。
ただ今。代々木公園。そして昼14時30。

代々木公園の寒空の下。両手を広げ。
「ンー。気持ちいいねー」
と大喜びのドイツ人を横目に。
私の心は大いに複雑であった…。

また。このパターンか。
昔。オーストラリア人を案内した時も。
一番喜んだのが多摩川の河原だったりし。
で。今回は公園ですか…。

しかーし…。もっと。
東京にしかないものを見て喜んでもらいたい。という
案内人としての責任感というか、欲が沸き上がる。
もはや。それは彼のためでなく。
自分のためである。というのもわかっているが…。

隣の明治神宮でさえ、興味ないから。と却下。
っつうか。やっぱり。君。
ムチャクチャ、はっきり断るよね…。

ならば。原宿の竹下通りは…。というと。
「入ってみる?」
「Oh ,ナイン!(= ドイツ語版 oh no) 」と首を振り
人ごみの写真を撮って。
「ン。ボクはもういいよ」と。

代々木公園のロカビリーを踊る集団も…。
非常に喜んだものの。3分後。
「ン。ボクはもういいよ」と。

あのねぇ。ボクはいいよ。って。
私はそもそもいいんですよ。
行きたい所とか言いなさいよー!全くっ!

一体どうすれば…。
というわけで、私は密かに友達にSOSを送っていた。

『マユゲ、ガンバッテー。今行くからねー』

                   * * * * * * * * * *
『どうしよう』という状態は。
裏を返せば『問題を解く』という、
エンターテイメントである。
1人の『どうしよう』はただの『どうしよう』であるが。
2人の『どうしよう』はいわば。
『謎解きゲーム』という
ちょっとしたエンターテイメントに昇格する。

* * * * * 助っ人、友人A子登場 * * * * * 
ああ。助かったー。
なんかもう。超、気が楽。
友人は「普通のおっさんやね」と。
私に耳打ちしたあと。
にこやかにドイツ語で話しはじめた。
私はもう救出された感じで放心状態。アホ面でついてゆく。
いい友達を持っていて本当によかった。

そして。私たちは。
『どうするー。どうするー』という会話をし。
(ああ。もう。どうするー?って言い合えて超幸せ!)
お茶をすることに。
道中、友人は。ちょっと入っていい?と。
ユニセックスなアクセサリー屋に入っていった。

すると…。ドイツ人は。あれ〜?! 入ってこない…。
男女兼用の物を扱う店でなので入りにくいわけではない。
興味がないから入らないのである。
で。興味がありませんよー。退屈ですよー。
というのを隠さない。
さすが。やっぱり。この辺がちょっと感覚が違う。

                     * * * * * * * * *
そういや…。
ドイツの現地企業で働いていた時。
自由参加のプレゼンがあった。
時間になると皆いなくなったので、
全員、参加しているらしい…。
え〜っ。なんか。興味がないとは言え。
全員いなくなると不安になる、ザ・日本人の私。
そこへ。1人だけ残っているドイツ人の同僚を発見。
「なんか皆いないし…。いいのかなあ?」と私。
「ン!?」と。ドイツ人。
「ほら。みんな。いないしー」

その同僚はキョトンとしていた。
つまりだ。この人は。
皆の行動と自分が何の関係があるのか、
私の言っている意味がわからないのである。
皆が行った=行かなければいけないのでは?
という発想が皆無なのだ。
自分は自分。他人は他人なのである。
いや。日本人だって皆、本当はそう思っている。
でも。その根底に流れている、ゆるぎなきものが。
よくも悪くも個人社会で生きてきた人たちとは違う。

       * * * * *  アクセサリー屋 * * * * *
やはり。放っておくのはちょっと気になる…。
5分後。ちょっと様子みてこよう。ということになり。
私が外に出ると。
あれ〜? 店の前にすらいない。
慌ててあちこちウロウロすると。
少し離れた道路の縁石に座っていた。

「なんかいいのあった?」と彼。
彼はいったって普通であった…。

                    * * * * * * *
「そうそう。友達がやっているお好み焼き屋さんがあるけど行く?
ジャパニーズ、PIZZA、レッカー!(=ドイツ語でおいしいの意)」とA子。
「いいねー。いきたーい。近く?」とドイツ人。
「えーっと。電車でねぇ…」
(ああ…。電車ーーっ!)

当然。却下。

渋谷まで歩き(←また歩いている)、回転寿しへ。
安くて(←これドイツ人重要)おいしいのでけっこう喜んだ。
その後。日本のクレイジーなデパ地下食品売り場とかを見せたが、
反応今ひとつ。
それじゃあと。渋谷のスクランブルへ。
そして。スクランブルを突っ切り、
センター街に入ったとき…。

「もしかして、ここ、ボクのために来てくれている?」とドイツ人。
(えーーっ?!今日はすべて、そのつもりなんですが…)
「ボクはいいよ。すごい人だし」と渋谷もあっさり却下っ。
ここでA子の顔が曇った。
ウーン…。なるほどね。と1人、何度か頷いたあと。
『ドイツ人ぽいね』と。
ボソっと日本語で言い、テンション急降下〜。
(あ〜〜〜〜〜っ!)

ドイツ人は足が疲れたからホテルに戻ることに。
「電車に乗る?」と聞いたらさすがに「乗る」と。
(そうだよー。電車は必要なんだよー)
というわけで、銀座線の渋谷駅へ送りに行った。
結局。彼が今日、一番喜んだのは。
自然あふれる代々木公園であった…。

彼の東京観光はあと7日。
「どっか行くプランとかあるの?自然とか好き?
1時間半も行けば山もあるよ。鎌倉とか高尾山とか」とA子。
「んー。自然とか興味ないから」とドイツ人。
(えーーっ。ちょっと待て。君が好きなのは本当は自然だってばー!)

何かが噛み合ないままの東京一日観光であった。
改札で、別れ際『じゃあ。また』と、握手を交わした。
この握手の味がなんとも言えなかった。
この握手で、3人それぞれが『また』はない。と。
思ったに違いない。
人間の第六感は言葉以上に語るというわけだ。

ここでは割愛するが、義理ハグなんてのもあり、
これもなかなか罪深いのですねえ。

                  * * * * * * * *
片言ドイツ語から解放され。
ハア…。と。
ため息をついた私たち。

おもむろにA子が言った。
「だいたい…。もうちょっとカッコよければ。
こっちのモチベーションも上がるというもんだけどねぇ…」と。
(おおー。やっぱり君もか!)
「そ。そーだよねー。やっぱり!」と。
低俗さ全開の私たちは『喋り足りねー』と言って、
再び夜の渋谷へと入っていった。

今日。問題があったのは、
彼の正直すぎる行動よりも。
私たちの低俗な脳みそだったのかもしれない。

とりあえず、
自分の見た目は磨いておこうと。
やっぱり。しょーもない結論に達した。
そんな一日であった。

でもね。
東京はね。乗り物に乗らないと。
どこにも行けないんだよ。

2012年1月4日水曜日

ドイツ人とのTOKYO観光 - 中編 -

(前編→ ドイツ人とのTOKYO観光 - 前編

今日案内する人がどんな人であろうと。
一日、東京を絶対楽しませてやる!という決意で。
ホテルにお迎えに赴いたものの…。
私の低俗な脳みそが。
『なんだよっ!ジジイかよっ!』と反応し。
急激にテンションが下がったのが前回

しかし。ここは気を取り直して、
一日東京観光スタート!
フリーマーケットを目指し、青山通りを歩く。

                        * * * *  * * *
「いやー。君が今日来てくれて助かるよー。
ボク一人じゃどこ行ってよいかわからないしー」
(ギクッ。私もわからない…)
「でさあ。東京は。日曜日、店は開いているの?」

ふむ。早速。ドイツ的発言。
ドイツでは戦前から閉店法なるものがあり、
日曜日はお店を開いてはいけない(注1)
(注1)平日も20時までという規制があったが。
2006年に大幅に改訂され、だいぶ規制も緩くなったけど日曜日はやっぱり休み。

「うん。日曜日も店は開いているよ」
「えーっ。じゃあ、働いている人は休みがないの?土曜日だけ?」

ウーン。これまたドイツ(ヨーロッパ?)的発想か。
つまるところ。
閉店法はキリスト教からきている。
日曜日=安息日だから。

「いや。水曜休みの人もいれば月曜休みの人だっているし…」
「ふうん。ドイツではねえ、日曜日は何もしないんだよ」
まあ。それはキリスト教的文化背景だからねぇ…。

コンビニに寄った。
彼は。ドイツのミネラルウォーターを買った…。
えーっ。それ。
観光客として、ダメでしょ。チミー!

そうこうしているうちに、
フリーマーケット会場、明治公園に到着。
フリマが好きな彼はテンションがあがる。
おおーっ!
こちらも低俗な脳みそとはいえ、
喜んでもらえるとモチベーション上がります。
来てよかったー。

よーしっ!私も楽しむぞーっ!
と思い、店を見ては立ち止まるのだが。
彼は同行者の行動おかまいなしに。
スタスタ行ってしまう。

ウーム。
さすが個人主義社会で生きてきた人ってかんじ。
と思うのは、いささか短絡的か。
でも。お互いが個人行動を取っていては。
あの人、ケータイ持ってないし…はぐれてしまう。

しかし。哀しくも。
バカの一つ覚えのように。
意味を考えることも。疑問に思うこともなく。
集団ラジオ体操なんかで育ってしまった私は。
会社の忘年会には行かなくとも。
『人に合わせる』という血はどこかに流れている。

彼が立ち止まった店の隣で、
無意味に商品を取り上げたりして。
店を見ているフリをし。
私も楽しんでますよー。的な素振りをみせつつ。
そのドイツ人を見失わないよう、
目の隅で追うことに専念する。
↑まさに添乗員!
いや。添乗員は堂々と同行者を見張れるから。
こっちの方が高度な技だ。と思うのも。
いささかおこがましいのか…。

「なんかいいのあった?」と彼。
「あ。ウ…。えーっと。まあ…。ウーン。ないね」と私。
「そうだよねー。ゴミばっかり!全部シャイセだね(←ドイツ語でクソという意味)
あのねー。フリマはそういうものなのよー。
ゴミの中から何かを見つけるものなのよー。
というか。チミ。案内係に失礼だなー。全く。
ま。正直とも言うが。
そもそも。
ホンネというのは失礼なものである…。

しかし。このドイツ人。
フリマは大好きというが。
どうやら、CDの山しか反応しないようだ。
お。またCDの前で立ち止まったが。
『全然ダメ』というふうに首を振ってまた去って行った。
これは。まずい…。

「どんなCD探しているの?」
「レゲエ」
「そっか。レゲエが好きなんだー」
「えっ。君もー?」
彼がうれしそうに言った。
「いや。アレステッド・ディベロプメントは好きだけど」
「それ、レゲエでなくヒップホップだから」と。
がっかりするような口調でクギを刺された。
「あ。レゲエか。えーっと…」
あれ?レゲエあんまり聴かない…。
「ボブ・マリーくらいかな」と私。
「まあ。皆ボブ・マリーだよね」とまたテンション下がる。
ちょっとー。あのねー。そこ。
盛り下がりポイントじゃないし〜。頼みますよー。

そして。珍しくCDでないところで立ち止まった。
Tシャツがいっぱい売っている。
「品物はここにあるのが全部か聞いてくれる?」と。
ウーン…。でも。フリマだからねえ…。
当然、ここにあるものが全てとの回答を得たあと。
その店の兄ちゃんを見て、
「あのT-シャツが欲しい」と。
「えっ。どれ?あの彼が着ているやつ?」
「そう」
「いや。あれは彼が着ているから…」

                       * * * * *
ウーム。確かに…。
何ごとも聞いてみないとわからない。
と教えてくれたのはドイツであった。
ドイツはサービス業が盛んでない。
店員が面倒だと思うと、出来ることでも。
『それはできません』とかテキトーな事を言う。
だから。ドイツの生活の基本は。
ダメと言われても。ダメだと思っても。
もう一回、掛け合ってみることだったりする。
交渉したり、食い下がらなけらばいけないことが日常的にある。

                      * * * * * * *
結局。お兄ちゃんの着ている、
レゲエのレーベルのT-シャツは断られ。
フリマは終了。

さあ。困った。
東京観光はまだ始まったばかり。
しかし。私はこのフリマの間。
密かに次のプランを練っていたのである。

Disk Unionが気に入ったという話を聞いたので。
では。下北沢のDisk Union に行ってそのあと。
日本のB級グルメ、お好み焼きでも食べにいくか。と。
で。誘っておいた友達とその辺りで合流すれば。
3人集まれば文殊の知恵となり。
あとはなんとかなるかなと。

「下北沢のDisk Union行ってみる?」
「あ。行きたーい!近い?」
「電車で10分くらい」
「ああ…。ウーン…そっか。じゃあダメだね」

えっー!? 何がダメなのか。電車がダメなのか?!
(参照: ドイツ人とのTOKYO観光 - 前編
とりあえず。代々木公園まで歩く。

        * * * * *代々木公園 * * * * *
「わーっ。いいねー。いいねー。きもちいいねー」
と。大はしゃぎ。
お〜。今までで一番喜んでいる。
でも〜。
ベルリンにもこんな公園たくさんあるし…。

「わー。いいねー。いいねー。いいよー。ここ」
ごめん…。でも。
マウワーパーク(注2)じゃダメなんですか〜?
(注2:ベルリンの公園)

「隣に有名な神社、明治神宮もあるけど。行く?」
「ンー。ボクはあんまり興味ないからべつにいい」 
ごめん。本当に。
マウワーパークじゃダメなんですかー? 

真冬の中。
公園にずっといるわけにはいきません…。
困りました…。
 一日はまだ始まったばかりです。まだ昼の2時30。
ガンバレ〜。マユゲ。 

次回はこの続きを後編にて。

(次、ドイツ人とのTOKYO観光 - 後編 -