2012年4月3日火曜日

地震と備えと道徳と我欲

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わたくし。実は。
命綱を買う癖(へき)がありまして…。
引越しすると、
まず脱出用の命綱を買うのです。

前住んでいた家は5階だったので、
引越し早々、東急ハンズに赴き、
マグロ漁用のロープを購入。
(マグロ漁用なら強度は十分であろうという発想)
ステップ用に1mおきに結び目を作った。

その次に引越ししたドイツの家も5階。
新天地で街の右も左も分からない状態のまま
Do it yourself shopだけは目ざとく見つけ、
ロープを30mほど買い。
また1M置きに結び目を作った。
(これ、ドイツで買ったロープ↓)


















つまり。私は。なんかあったとき。
救急隊が来て助けてくれるとか。
そういうのを全く信じてないのです。
それどころか。
大火事で黒煙がモクモクと上がる中。
隣人がすす汚れた顔で
「私にもロープをくださ〜い!」
と泣きつかれたらどうしようと思い。
いざとなったら隣人に投げようと、
顔も名前も知らぬお隣りさんのロープまで買ってしまい。
数年間、隣人の命綱までこっそり持っていたくらいである。
(この綱の出番はなかった)

そんなわけで。私的には。
ロープとかなーんも持たずに。
ボケ〜っと2階以上に住んでいる人とか。
全く信じられんのです。

そんな『自らの身は自らで守る』的な姿勢なもんで。
大地震が起こると言われる昨今。
備えも気が狂うくらいしそうなもんであるが。
これがどっこい。
全くしていないのである。

そういや、25年くらい前であったか。
やっぱり地震が来るという噂があり、
新聞にまで載ったが…来ず、予言者は失踪する。
という騒ぎがあった。

当時、子供だった私は
地震用リュックを用意した。
水に、犬のリードに、ドックフード、犬のうんち袋。
ともかく、大事な飼い犬のものばかり詰め込み。
自分のものはパンツ2枚くらいしか入れなかったと記憶する。
しかし。昼間はリュックそっちのけで学校に行く訳だし。
大災害時、うんち袋とかどうでもよいだろっ!という、
まったくもって頭悪そうな地震の備えであった。

ま。若さというのはバカである。
もっと遡った時代。ミントの飴を初めて舐めた時は。
『おお。これはハミガキという行為と同じだ。しかも楽チン!』
というわけで。
ミント飴をハミガキにしていたこともあった。

話は脱線したが、
まあ。年も重ねるといろんな事態を想定できてしまうので。
いざ。地震用に水なんかを蓄えておくのはよいけれど…。
しかしですねえ…。となり、
純粋に地震リュックとか作れないのです。

大災害となると、皆が水を欲しがるわけで。
皆が「水を〜っ!となっている中」
自分だけそれをクイクイって飲むのか。
という話になるわけで…。
やっぱり道徳心としては。
持っていない人にに分け与えねばならぬ。
ということになる。つまり。
地震の備えをしても自らを助けることには。
なーんもならないわけです。
皆が皆、備えてくれないと意味がない。
火事の時みたいに、隣人のロープも買えば解決。
とはならない。
じゃあ。皆にちゃんと水を備えましょう。と。
啓蒙すればいいかというと。
全員が備えてくれるというのはほとんど不可能に近い。

というのも。
皆、100%の人々に何かを強いるには。
もはや、軍隊と刑務所でしかありえない。

昨今。君が代斉唱で、やれ歌わなかったとか、
やれ、口パクだったとかで
処分だとかで問題になっているが。
そもそも。
全員に何かを強要するというのが不可能である。

まあ。個人的には『歌いましょう』と言ったら、
日本社会ならば、まあ9割以上の人が歌うわけで。
それでちゃんと『斉唱』という儀式が成立するんだから、
まあいいじゃないか。クチパクで抵抗なんて、
いじらしく、かわいらしいではないかと思うのだが…。
それに。
成熟した社会はある程度の『のりしろ』があって然るべきである。
いろんな人がいる。それでええではないか。
『のりしろ』がない社会は幼なすぎる。

また話が脱線したが。
もう全員が歌うとか歌わないとかは問題じゃないのーっ。
もう全員が水を用意してくれないとーーーっ。
地震用の水。自分で備えても。これ…。
自分には回ってこないんでしょー。
良心の呵責と戦って。
ええかっこして、水、渡しちゃうんでしょ。
ってなわけで、地震の備えは後回しになっているのです。

ま。とりあえず。
意味ある地震の備えは。なんだろ。
一番高いギターをハードケースにでも入れておきましょうか…。
ねえ。