2010年7月19日月曜日

ドイツで鍛える生活 #28

**** 修行の結末とは ****
ボクは家族と友人がいる土地で暮らしたい。
彼らが一番大事だから。

7年前。
オーストラリアの砂漠のど真ん中で。
とある旅人のデンマークの青年が言った言葉である。
**************

私の休暇は。
都会に出ることに焦点が当てられている。
まあ。言ってみれば。
都会の人が自然へ逃避して充電する逆バージョンで。
多様さを受け入れる社会と。
おしゃれに気を使うそのパリっとした雰囲気とかで。
私は。都会にて充電されるわけです。

そんなわけで。今回。
お友達もいるしー。と。
デザイン王国、フィンランド。
ヘルシンキに行ってきましたー。

きゃー。マリメッコ。
きゃー。イッタラ。
デザインが身近にある世界って素晴らしい!と。
大いに俗世間に呑まれ。
大いに買い物し。

フィンランドといえば。
森でしょ。と。山の中へも行き。
帰りのバスがない…。もしや野宿?
という危機にも。
キャッ。キャッ。と楽しく過ごしていた。

実は。これ。
私にとって、何が非日常であったかというと。
都会云々より。
この期間だけ私は一人でなかったのだ。

何かを見て。
「ねえ。これどう思う?」
と聞く事ができるという信頼感。
「これ、いいよねー」
と共感を求めることができるという心地よさ。
野宿の危機。となっても笑えるという安心感。
そんな危機。一人だったら世界の終わりでしょ…。
それが友人らが横にいるだけで。
笑いに変わるのである。
人がいる。ってすごい…。と思った。

そう。ここ最近。
私はこの『ドイツで鍛える生活』の終焉が。
見えてきた気がするのである。
この修行は(←勝手に修行にしている)結局。
人は一人では生きられない。
と言う事を学ぶための修行だったのではなかろうかと。
こんなフツーな事を発言するのは。
非常に。むしずが走るのであるが。
それを体感する修行だった気がしてならない。

『ボクは家族と友人がいる土地で暮らしたい』
これが、7年たっても忘れられないのは。
たぶん。
この言葉がどこか真理に近いからかもしれない。

人は一人では生きられない。

やれやれ。
こんな誰でも知っている。
フツーな結論を得るために。
友達ひとりとしていない土地に送り込まれ。
(まあ。自分で来たのですが…)
こんなフツーでない生活を送っているかーっ。
で。このフツーな結末…。
なにそれ。


妙にシンメトリーな
フィンランドの森。



で。こんななデザイン。
(フィンエアーのsalt & papper )


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