2009年12月29日火曜日

ドイツで鍛える生活 #4

**** 優雅と不便の関係性****

さて。ドイツ。
ドイツって。なんかこう先進国なイメージで。
会社の夏休み1ヶ月なんでしょ。とかいうイメージで。
優雅な生活のイメージである。
確かに。土日とか皆お休みで。
無意味に川辺とか海辺を散歩している。
なーんか。優雅だ。
しかーし。
実際私がどんな生活をしているかと言うと…。

交通手段はバスのみ。
ラッシュアワーで15分に一本。土日は30分に一本。
よって。自転車が必要になるのだが。
自転車屋が18時で閉まるため、会社に行っていると買いに行けず。
宅急便は平日の昼間のみの配送。
よって。日本から送った荷物が未だ受け取れず。
日曜日にチョコレートが食いたいなあと思っても。
すべての店が閉まっているため買いにいけず。我慢。
コインランドリーをやっと見つけたのだが。
家から遠いわ異常に高いわ、プラス、日曜日は閉まっている。
というわけで。洗濯はほぼ毎日手洗い。
という、なんですかこれ。修行ですかー?
みたいな生活なのである。

つまり。
みんなが残業しない、みんなが18時で帰宅する社会。
みんなが土日に休む社会というのは。
裏をかえせば。こういうことなのですねぇ。
ま。田舎の街だからでしょ。って話も大いにあるが。
ベルリンだって日曜日、店は閉まっておる。

便利な社会はみんながたくさん働かないと成立せず。
みんなが働かない社会というのは、
不便な社会で我慢をするということで。
この負の部分を受け入れずして。
便利さの方を選んだ日本が。
ヨーロッパ諸国の休暇のあり方を羨んではいけないのである。
便利さを手放さない限り、
満員電車と残業地獄からは逃れられないのだ。
ゆとり。ゆとりある生活と言うが。
日本よ。その便利さを手放せますかー?

今日、食料が買えない。
カスタマーサービスの返事は2週間くらい後かな。くらいの覚悟。
それを受け入れて。
初めて、優雅な生活ができるのである。
優雅とは。
実は。不便な生活なのだ。
そして。
不便な生活は、優雅に見えるのだ。
そして。便利さを望まない限り。
それは優雅になり得るのだ。

ま。私の生活は不便でも優雅に見えませんが…。
これは何かが間違っているからで…。

とりあえず。
わたしの望みはタダひとつ。
洗濯機で洗濯したーい!
自転車を買いたーい。
あ。二つか。
ともかく。これらを得ない限り。
罰ゲームな生活はまだまだ続く…。

2009年12月21日月曜日

ドイツで鍛える生活 #3

**** 想定外ドイツ職場編 ****

日本で派遣切りになって。
ドイツの片田舎の街で。
画像編集ソフト開発会社に就職した。
35歳にして人生初の正社員である。

はて。こちらの会社。
もうすべてがびっくり。
勤務時間ノーチェックのため、
遅刻、早退とかの概念が存在せず。
なーんとなく10時くらいまでに来ていればよく。
ヘッドホンで音楽聞きながら仕事し。
昼はキッチンで料理してたりとか。
ジョギングに出かけたりとか。
まあ。やることやっていれば何していてもよいらしい。

職場は70%ほどドイツ人。残りは外人という構成。
ってわけで。私の想定では。
おおー!これは。
私の言語障害も時と共に良くなるのではないか。
英語もドイツ語もグイグイ上達し。
いいんじゃないの~?
という淡〜い期待があったのだが、甘かった…。

なんと私のプロジェクトチームは全員ルーマニア人。
ルーマニア人に囲まれているわけです。
というわけで。
全員、多かれ少なかれ言語障害児。
言語障害がよくなるどころか。
お互いの訛りや独自の文法に慣れることが先決となり。
"He don't 〜"みたいな独自の言語を習得している。
すんません。
人を利用して言葉を学ぼうという私が間違っておりました。

しかし。なるほど。こう来たか。
想定外であった…。
しかしまあ。ルーマニア。
共通の文化のバックグラウンドも何もないので会話が難しい。
話というのは。
文化や知識のバックグラウンドの共有。
というものがあって初めて成立する。
それがないと。
深い話、色つや(エロの意でない)のある話というのは成立しない。
つまり。
こんどの髪型、大木ぼんど目指すから!
と言っても通じないわけで…。
前髪短くて、後ろはまっすぐの整えた感じの髪型。
と。色もヘッタくりも面白みもない表現となってしまうわけです。
そんなわけで。
会話といえば天気の話とか。
ルーマニアではどうなの?
といったお国事情に話を振るのが限界で…。
それでは職場の人間的価値としてはイマイチなわけです。
なぜならば…。

仕事がデキるやつなんてごまんといる。
自分がいなくたって社会は廻る。
総理大臣にだって代わりはいる。

となると。職場での人の価値観というのは。
1. 毎日9時間顔をつき合わせても生理的に受け入れられるか。
2. 一緒にいて楽しいか。
というところが肝となってくる。

もう中年だし。外見も奪われつつある中で。
会話という武器も奪われた今。
はあ。君はどう価値ある人間になれるのか。

なんだ?
キラキラした目か、はたまた雰囲気か?
しかし。
普段からイケてる生活をしていないと。
そんなもんは得られんわけで。
こりゃー。立ちはだかる壁はでかい。
外見と会話以外で君は何を勝負できるか。

こりゃー。毎晩。
夜9時に寝てる場合でない…。

p.s. ここ2日ほどマイナス10度。一歩、外でりゃ体力奪われ中。

2009年12月13日日曜日

ドイツで鍛える生活 #2

**** そうは問屋は卸さない ****

日本から送ったギターが行方不明になり。
翻弄されること数日 (参照: ドイツで鍛える生活 #1)。
関税局から取りに来いとの通達が。
取りに来いって…。家に配達してくれないなら。
何のための 宅急便(EMS国際スピード郵便)なのか。

仕事前に朝っぱらから関税局へ。
関税局は郊外にある。
バスで永遠と揺られること45分。
着いたが、ドイツの朝7:30は真っ暗。
真っ暗でストリートの名前も見えんわ。人もいないわ。
通り過ぎるのはタイヤが自分の身長くらいある巨大なトラックだけ。
それがビュンビュン行き交う。
歩いている人もいないし。
帰りのバスもいつ来ることやら…。
こんなとろろにポツンと一人、降ろされても…。
(いや、まあ。自分で降りたのですがね…)
きゃー。
もー。こうやって。人って拉致されちゃうのかもーッ!
と大いに不安になったのだが、
使命: 関税局を探す!やらなければこの無人島を出れん!
と自分を奮い立たせ、ウロウロしていたら見つかった。

はて、関税局。
すぐ終わりかと思いきや、そうは問屋が卸さず。
引越しの荷物であること。
売り物でないことを説明、証明しなければならず。
手続きにかかった時間、1時間半。
物事、思ったとおりには行きません。
で、ギターを抱えたまま職場へ直行。

私が今回、就職したのはドイツの会社なのだが。
私の想像では。
仕事は皆、英語で会話するし。
ドイツ人達同士はドイツ語で話すから。
私の言語障害も良くなるんじゃないかー?
と思っていたらどっこい。
そうは問屋が卸さないのであった…。

やっぱり。物事って、全て想像と違うのね。

p.s.次号はその想定外な職場事情を。

2009年12月7日月曜日

ドイツで鍛える生活 #1

**** 人生の極意 ****

おお。これは想像と違う。とか。
おお。これは想定外であった。とか
おお。わたくしは間違っておりました。とか。

人生はよい意味でも悪い意味でも。
期待や思惑や信念を裏切られることだと思う。

はて。
ドイツ来て初の週末。
こんな誰もいない地の果てまで来てしまったし。
週末と言っても友達いないし、
2日間、誰とも口を聞くこともなかろう。
と思っていたら。どっこい。
 やはり、想像したことは起きず。
(参照: (続2)自説: 想像したことは起きない )
1日で10人以上と話すこととなった。
 というのも。
日本から送ったギターが届かず、
行方不明になっていることが判明。
同じアパートの住人のドアを。
一軒一軒ベルを鳴らし。
『私の荷物を探しているんですが知りませんかー』
と訪ね歩くことに。
親切に対応してくれる人もいれば、
『ないよ。そんなの』と。
煙たがってすぐドアを閉める人もありーの。
もー。これ。なんですか。罰ゲームですかー。
一軒一軒って…。
しかも、ドイツ語レベル3歳児以下なのに。
結局。誰も私の荷物を預かっていなかった…。

で。
 郵便局は閉まっていたが。
DHLの配送ドライバーを道端で発見。
迷ったが、ここでドライバーに遭遇するなんて。
もしかしたら。 ああ。
天が恵んでくれた運かも!ありがたやー。
ちと恥ずかしいが思い切って話しかけた。
「私の荷物を探しています。しりませんかー?」
「うーん。普通は家に居なかったら、不在票が入っていて。
どこの家に預かってもらっているか書かれているはずだよ」

そうなんだけどね。
『普通』でないことが起きるのが。私なんですよ。
やっぱり。これも天の恵みでなかった…。

もー。私の後ろに付いている人(守護霊っつうんですか…)、厳しすぎ。
試練与え過ぎでしょ。
さあ。月曜からまた荷物の捜索がはじまります。

こんどはポストに電話するかねえ。
電話ないから会社から電話しちゃおうっと。
でも。お願いだから荷物、出て来てください。
そこまでの試練を与えないでくださーい。

だって。次は。
よい意味での裏切りがある番でしょ。

2009年12月5日土曜日

ドイツへ引越 #7

**** あの世に到着 ****

成田で両替できなく大いに心配したものの。
ロンドン、ヒースロー空港であっけなく円からユーロに両替できた。
(ポンドにしか両替できないと思ってたのよね)

ドイツ、ハンブルグ空港に到着すると。
私の名前を掲げているおばちゃんがいた。
会社が手配したタクシーの運転手らしい。
やせ型でピッタリしたジーンズに前髪を盛り上げた80sスタイル。
ブルーのアイシャドーにタバコがよく似合うかんじ。
これぞジャーマン代表の中年女性といった風貌だ。
イメージとしてはこんなかんじ(リンク)。

タクシーに揺られること1時間。
ビュンビュン飛ばしているのにまだ着かない…。
なんか地の果てに来ている…。
窓の外を眺めながら。
すごいところに来てしまった…。
と、哀しくなってきたところ。
 1時間半後にやっと着いた。

アパートのドアを開けると。
こんなものが出迎え、
なんかちょっこっとだけ気分が晴れた。(photo↓)
 しかーし。
あの世は入るとき、景色は眩しく魅力的で。
お花畑があるっていうけれど。
これがきっとそのお花畑にあたるもんだな。

ウーン。
お花畑に足を踏み入れてしまった。
さあ。この先もお花畑だといいが…。
そんなわけはないのだー。

本日、初の週末。
郵便局に13時に行ったら。ちょうど13時に閉店。
自転車を買おうと14時30に自転車屋に行ったら。
14時閉店で間に合わず。
そして。
コインランドリーに行く足もないので。
1週間分の洗濯物を手洗いした(泣)
これ。生活自体が罰ゲームにちがいない…。

2009年12月1日火曜日

ドイツへ引越 #6

**** 電波少年的旅立ち ****

あの世へ…。
出発の日がついに来た。
総荷物30キロ。
重たーいバックパックを背負って。
行商の婆さんのように『くの字』になって歩いていたら。
品川で成田エクスプレスに乗り遅れてしまったー。
ガーン…。
慌てて東京駅に向かうも、行商のバアさん状態なので。
慌てている気になるだけで前進せず。
その上、なぜか東京駅で迷子になり。
もう荷物は重いわ、ヒートテック2枚重ねにダウンジャケット、
と6枚も重ね着してるので暑くてもうろうとしてたところ。

 通りがかりの駅員に
「お客さま〜!こちらでーす!」と連れていかれ。
別のエクスプレスにタダで乗せてもらった。
しかーし。
予定時間、40分オーバー。

成田に着くと電光掲示板が。
『BA 6便、 Go to Gate』ピカピカ~。

キャー。まだチェックインしていないのにー。
しかも手荷物オーバーだし。乗せてくれるのかー。
機内持ち込み荷物、クリアした。よし!

『Go to Gate』 ピカピカ~。
キャー。両替が…。
キャー。その前にトイレー。
あれ〜? チケット…。
キャー。トイレに置いてきてしまったかもー。
あり得ん…。
あったー。ポケットに入ってたー。
キャー。両替が…。

あー。そのままゲートへ。
ああ。両替が…。
搭乗…。
私を乗せたヒコーキは。
第一通過地点、ロンドン、ヒースロー空港に向け飛び立った。

このまま。
1ユーロももたぬままドイツに着いてしまうのかー。
あーあ。ハンブルグ空港にタクシー、迎えにきてるのに…。
タクシー、クレジットカード使えないのに…。
えっ…。無銭で到着 !?

でも。一番大切なのは。
私が到着することよね。
一文無しでも身体がドイツに行けばなんとか…。
と、気を取り直したあとヒースロー到着まで12時間寝続けた。

あー。本当に電波少年になってしまうのか!

**次号へつづく

2009年11月27日金曜日

ドイツへ引越 #5

**** 電波少年的幕開け? ****

あの世行きが近づくにつれ。
(参照: ドイツへ引越 #4 )
最後の食事とか最後のお茶とかの機会も増え。
なんでも『最後』が冠詞のように付くようになってきた。

しかし。
実は頭の中で色んな人とのお別れというか。
この時期を何度もシュミレーションしていたので。
自分の中では既に何かが終わってしまい。
もう片足を向こうに突っ込んでいるかんじ。

実際の『最後の○○シリーズ』が訪れている現在。
今わの際のジタバタは終わり、
アワアワする周りをよそに妙に凛としている。
そんなわけで。
自分的には結構おだやかな最期を迎えている。
(パッキングしてないのにーっ!)

ま。なんと言いますか。移行としては。
日常 → 危篤 → 臨終 →あの世。
でなく。
日常 → あの世。
のように直接移行したいわけです。
つまり。
『コロリと逝きたい』というのが人生最期の目標であるように。
(参照: 死に向かって健康 )
明日、ドアを開けたらドイツ。という移行がしたいのです。
わかるかー。この感じ。
つまり。
この『最後の○○シリーズ』儀式が、
どうも危篤から臨終を経験するかんじなのだ。
ウーン。
十数時間ヒコーキに乗れば行き来できるとは言え。
皆もホントに私をあの世に行かせようとしているーッ笑。

で。
その『あの世への移行』であるが。
 3日後、あの世への扉は以下のように開く。

ドイツ、ハンブルク空港、22時着。

タクシーが迎えに来ている。
そのタクシーのおっさんにアパートの鍵を渡され。
そのまま1時間ほどタクシーに揺られアパートに連れていかれ。

翌朝10時。ドアのベルが鳴る。
アシスタントの姉ちゃんに外人局に連行される。
労働VISAをもらう。

その後、会社に連れていかれるんですかねぇ。

そう。
なぜか空港でタクシーのおっさんに鍵を渡され幕が開き、
もう連れていかれるがまま。
えっ。でも。これって…。
電波少年ですかー?

2009年11月19日木曜日

ドイツへ引越 #4

**** 三途の川辺に到着 ****

あの世(ドイツ)まであと10日。
(あの世と呼ぶ理由: ドイツへ引越 #2)
三途の川は飛行機で渡るので荷物は23 kgまでである。
よって。
荷物はほとんどこの世に置いていかねばならないので。
物の移動のための引越をした。
4年住んだ家を引き払い実家へ引越し(↓Photo)


(↑この中で、あの世に持って行けるのは椅子の上のパックパック一つ。右端のギター。そしてダンボール一つか…)

27歳から4年間、海外ブータロ生活なんかをしていたので。
今回、27歳から数え15回目の引越し(今35歳ね)。
3カ国、5都市に渡る大移動。
その度に、物を捨て人に譲り手放してきた。
一番大事なものだけを手荷物にし空港へ行ったら。
重量オーバーでカウンターと喧嘩。
泣きながら空港に物を捨ててきたこともあった。
で。23kgに減らしたのに、
それすらも事故で成田へ届かなかったりと。
もう踏んだり蹴ったりで呆然と日本へ帰還した。

しかーし。
今、振り返ってみると。
あの時、大事だと思っていたもの。
泣きながら捨てたものの中で。
今、必要だと思ったり欲しいと思うものはない。
たぶん。人にとって。
手放せない物なんてないのである。

なーんていってると。
またドイツに荷物が届かなかったり紛失してしまうのか…。
もう十分捨ててきました。
たくさん手放してきました。
それだけは勘弁してください…。

ところで。
今いる三途の川辺(=実家)は、もう全てがトンチンカン。
ボケた婆さんは。
『ドイツ、いつ行くんだっけ?』と5分おきに聞き。
天然ボケの父は。
『あれ?! マユ(<--私の本名)はダウン症だったっけか?』
と意味不明発言。
ダウン症って治るもんじゃないんですが…。と思いつつ。
あー。やはり。ここは。
あの世の一歩手前。
あの世への船着き場なんだと再認識している。

私に残された時間。あと10日。
そして。
10日後、私は30代の精神を持ちつつ、
アウトプット(ドイツ語)は3歳児となる…。


2009年11月11日水曜日

ドイツへ引越 #3

**** あの世へ行く意味 ****

アシスタントの子に毎日メールした効果か。
私のあの世(=ドイツ ドイツへ引越 #2 )での家が決まった
家具付きのとりあえずの家で、2〜4ヶ月住めるらしい。
その後再び家探し。あーあ。

私のドイツ語レベルは3歳児以下である。
つまり。
三途の川を渡ってしまったら。
言語能力が3歳児に低下するわけで…。
3歳児が一人で住民登録から電話の開通、口座開設、
ケータイの契約、荷物の運送手配、LANの工事依頼、
プロバイダと契約し、ネットを繋げなければならないのだ。
そして、間借りの家を追い出されたあと再び、家探しと引越…。
はあ…。3歳児ですよ。3歳児。

遡ること7年前のベルリン。
当時はドイツ語レベルがさらに下がり、子犬程度。
引越しなければならなかったのだが。
言語能力が全く機能していないため。
言語能力を使わない手段として。
引越手段、地下鉄…。
頭まで届くバックパックを担ぎ地下鉄で15往復もした。

そーんなあの世。
そして。そーんなあの世になぜもう一回行くかというと。
私のルールとして、目の前にある道を選択するとき。
楽な方でなく、勇気がいるほう。
ギャンブルなほう。
めずらしい経験が出来るほう。
を選ばなくてはいけない事になっている。

安定した生活は楽である。
しかし、安定はある意味、その世界での完成形であり。
完成したものをそれ以上なものにするには。
完成したものを捨て、崩さないといけない。
土台から構築し直さないとそれ以上のものはできない。
体力が続く限り。
この世では、崩し続けなければならない。

では。君はなにを目指し崩しているのか。
それは、ひとえに。
オモロイ人間になりたーいッ! (←アホ)ってだけのことで。
歳をとったら、面白い人間こそ価値がある。
と思っているからで。
面白い人間になるには幅広い経験をしないとなれないからで。
ま。つまり。
結局、目指すところはお笑いなんですが。
お笑いのために体張っているわけです。

というわけで。
来月から、3歳児としてやり直し。
私に残されたこの世の時間、あと2週間半!
ひぇ〜ッ!



2009年11月3日火曜日

ドイツへ引越 #2

**** この世とあの世 ****

引越の費用は出してくれるのかなー?
飛行機はどうなってるのかなー。
労働ビザはどうなってるのかなー。
お家がないから探してくれるのかなー。

と毎日質問をアシスタントのお姉ちゃんに投げること1週間。
いっぱい質問しても不明な事はフツーに無視!
なのがゲルマン魂らしく。
翌日に不回答のものをしつこく質問し、1個回答を得る。
という日々を繰り返しているので。
質問は1日1個しか進まない。
そしてやっと。
飛行機チケットを買ってもらった。

飛ぶ日は勤務開始直前の11月末。
総旅時間16時間。
それでもまだ隣の都市へ着くだけ。さらに移動。
で。すぐ勤務開始。
人に言わせると無謀なスケジュールらしいのだが。
行ってしまったらずっと向こうだし。
もーっ、日本にいれなくなるーッ!
という思考回路になっているためギリギリまで日本に残ることに。

この発想。何かに似ているなー。と思ったら。
この世とあの世の関係と似ている。
今わの際にドタバタし、少しでも長くこの世にいたいっ!
というのと同じである。
この世の別れを惜しんでくれる人たちもいれば、
向こうには向こうで待っている人たちもいるわけで。
なんだか、ちょっと三途の川を渡るようである。
で、三途の川を渡ってしまったら。
買い物ができーん。
あんな田舎に何も売っていなーい。
(地図: リューベック
イケてない物に金なんて出したくなーい。
と。いきなり三途の川から俗っぽくなり。
ものすごーい勢いでipodからダウンジャケット、スペアのメガネ。
と。もう、値段ってなんですか?っていうくらい。
今わの際にものすごい勢いで買い物をしている。

しかし。実は飛行機でいつでも渡れる三途の川なんですが…。
なぜか生き急いでいます。

p.s. 相変わらず、まだ家はありません…。

2009年10月25日日曜日

ドイツへ引越 #1

**** やっぱりブルース ****

契約によると12月1日から勤務開始。
しかーし。
会社で用意されている家なんていうのはないので。
家がない…。

遡ること5年前、海外プータロ時代のドイツ。
飲食店で皿洗ったりウェイトレスしたりしていた。
そんな最低賃金な仕事もクビになり。
アフリカから来た子に。
時給1ユーロ(130円)でウェイトレスの見習いもあるから!がんばろうよ。
と励まされ。
でも。あなたは19歳。私は30歳なんですけど…。
と言えなかったあの時代。

それがッ。
35歳にして人生初の社員!ドイツの会社にお呼ばれ!
おーーっ!皿洗い、ウェイトレスからすごい出世!
これはアメリカンドリームかー!(<--ジャーマンであるが…)
と思ったが…。
あれ~っ。一ヶ月後に家がなーいッ!というのは。
あの時代となんら変わりがないではないか。
(当時はヤドカリ生活。4年間で12回くらい引越している)

ネットで家を見ずに決めるのはギャンブルすぎる。
決めたとしても。
ベットも布団も冷蔵庫もないから生活できん。
じゃあ。家具付きの家みたいなもんをとりあえず探すか。
ということになるのだが…。
荷物を送るにも受取人(自分)がいないから送れない。
ウーン。と頭をかかえる日々。

で。肝心のアシスタントの女の子はバケーション中。
よって。家どころか。
労働VISAの申請すらしていなく、飛行機の手配も滞ったまま。
あれ~?本当に12月1日、自分はドイツにいるのだろうか。

と言っていても仕方ない。
とりあえず。
極寒ドイツ(マイナス10℃)に備え全身タイツを洗濯↓。



















ウフッ。と言って髪を掻き上げるブロンドのゲルマン女子も。
実は冬に脱がせれば中身はこんなはず↑
みんな『ウォーリーを探せ』状態。
と思っているのは私だけか…。

2009年10月19日月曜日

失業ブルース #9(完)

**** サインの練習 ****

job offerに同意したので。
失業ブルース #8
契約書が送られてきた。
が。ぎっしりドイツ語5ページ。
ガーン。わかんない。
辞書で調べ始めると。
なぜか急に家の汚さが気になり…。
早く送り返さないとーッ。と思うものの。
いきなり大掃除開始!

契約書の解読になぜか掃除から始め、
辞書引きまくること2日目。
ま。なんとなく読んだ気になり。
とりあえず。サイン。

しかーし。
これから死ぬほど書くであろうサイン。
簡潔、且つ毎回安定したサインでなくてはならない。
雇い主の方のサインを見ると。
なんだかすごい崩れていてちょっとカッコイイ。
そうだよね。
律儀に書いたら真似できるし意味ないよね。
とか自分に言い聞かせ、
崩す書体をあーでもない、こーでもないと書いてみる。
しかーし。本当は。
えー!私もーっ!格好よく書きたーい! <--バカ。
ってだけのことで。
ひたすらサインの練習↓


ンー。まだまだ崩し方が足りん。

とりあえずサインした。
これにて。就職決定!
失業ブルース完。

p.s. 次は引越ブルースか。
就業開始日は12月1日。しかし…家がありませーん!

2009年10月11日日曜日

失業ブルース #8

**** 無資格バンザイ ****

結果が来ないなー。と。
やきもきする事、数日。
来たー!メールが…。

"job offer"
12月1日に私たちのチームに入ることを楽しみにしている。

おおーっ。
決まってしまった!
受かってしまった!

面接はカンニングペーパーをチラ見だし。
(参照: 写真: 失業ブルース #5
職歴もフリーカメラマン(←自称)とかあり、怪しげ。
履歴書の語学力は。
英語: 上級
ドイツ語: 中の下
と。TOEIC: xxx点とか資格を何も持ってないので。
勝手に自己申告。
何をもって上級なのか全く意味不明。
こんな状態で外国の企業に呼ばれるなんて。
まあ前代未聞。

でも。
何かをしようとするとき。
前例がないからダメ。ってよく言うけれど。
私はそーゆのは大嫌いなのだ。
だって。
何事にも前例はなかったはずでしょ。
前例は『あるもの』でなく『作るもの』なのだ。

よし。これで。ある程度の前例は作った(←大げさ)。
カメラマンって資格あるの?
って言ってしまう資格好きの世の中に対して。
資格さえあれば安心っていう社会に対して。
無資格バンザイ!

そして。
人は資格なんかで測れないんじゃー。
ということをさらに証明するために。
わたしゃ、すぐクビになるわけにはいかんのだが…。

でも。
行ったら実力がバレちゃう…。カンペないし…。
3ヶ月の試用期間中にはバレまくるが(<--詐欺でしょ)。
今更どうにもならん。
とりあえず。
ゆけー。ドイツへ。行けー。

無資格バンザイ!

2009年10月7日水曜日

失業ブルース #7

**** 結果待ちの間にできること****

ドイツとの面接第2回目が終わり。
失業ブルース #6
受かったらどーすんだよー。
ドイツだよー。

というわけで。
なぜか物を売ったり。捨てたり。フリーマーケットも出店予約し。
しまいには。
送料を考えるとドイツに何も持っていけなーい!
というわけで。
勢いでipodも購入。
しかも失業者らしからぬ。一番よいやつ。
ipodにデータをガシガシ詰め込み。
CDという物質はすべて売る。
しかーし。
実は。まだ。採用通知なんてなーんもない…。

旅人準備は整いつつある。覚悟もできた。
はて。
あとは結果を待つのみ。
あー。私の行く末は何処へやら〜。と。
2, 3日フヌケの生活をしていたのだが…。

いかーん。これではいかーん。
待っているだけでは能がない!
何か金になる生産的な事をしなければー。
というわけで。
懸賞金のある公募を検索。
現在、なぜか。ラジオCM の脚本を書いている。
グランプリだったら100万円。

っていうか。
ハローワークに行かんかー。

2009年10月3日土曜日

失業ブルース #6

*** 面接第2回目****

ドイツとskypeでの面接第2弾。
テンパる日々は続き、本番到来。
朝6時。ムクッと起き上がると。
昨日書いたあんちょこ↓
With my knowledge and experience, I believe that I can .....
を思い出しながら、声を出して復唱!
「ウィズ マイ ノウレッジ エンド エクスペリエンス, ....」
えーっと。なんだっけ?
といった感じで。一日中ブツブツ。
昼も食わず、狭い家を無用にウロウロすること10時間。

skypeの接続を最終確認する。
接続よーしっ! 音声よし! ビデオよーしっ!
面接まであと15分…。もうどうにもならん!
なぜかギターを手に取り、かき鳴らす。
そして。本番5分前。よっしゃー!PCの前に正座。
skypeにログイン!

<サーバーに接続できません>

ガーン…。skypeのサーバーがダウンしている。
えっ…。

何か想定外のことが起きるのがこの世の常であるとは思っているが。
ちゃんと接続チェックをしている人に、
普通。こんな仕打ちをするかぁ〜?
ジタバタするも効果なく、あー。これまでか…
と諦めかけていたころ。約束を15分過ぎたところで。
フフフ。と、ほくそ笑んで上から見ていた人がイタズラを直した。
ビュイ〜ンとログインの音がなり。
サーバーが復活。面接開始!

カンペをチラチラ見ながらテキトーに答えること1時間。
「じゃあ。君にちょっとしたクイズをやってもらおうかな」と。
えっ…。そんなのカンペにない…。
「ボールが8個と天秤があります。天秤には目盛りがありません。君はどうやって…」
もー。無理…。しどろもどろになりながらも答えると。
「じゃあ。もう一つクイズね」
ガーン。
という状態で。1時間20分もかかり。
面接は終わった…。

ウーン。出来は悪いし雇われる保証は何もないのだが。
なぜか。海を超える引越に向け。
現在、ガシガシものを捨てている(<--かなりおめでたい)
と、同時に。
八百屋のパート募集。時給950円。
なーんて張り紙が妙に気になり…。

あーっ。もっっぉーっ!
運命が極端すぎる…。究極の分かれ道!
と毎日勝手に緊張している。

2009年9月28日月曜日

失業ブルース #5

**** 面接到来 ****

ドイツの会社から履歴書(CV)を送れと言われて以来。
1週間、一人で勝手に大騒ぎ。失業ブルース #3

はて。英語のCVって…。というわけで。
またまた大騒ぎすること数日。
見よう見まねでなんとなく完成し送付した。
最後に。質問があれば何なりと email か telephoneで。
と書いたのだが…。

実は。うちの電話というのは。
番号ディスプレイとか留守電とか。
そういう機能がなーんも備わっていない電話なのである。
プラス。あんまり聞こえない(←既に電話でない)。
日本語なら、まあ。勘で話せるけど。
といったレベルの電話機なのである。

なもんで。
その日以来、電話が鳴ると。
ヤバイッ!これはドイツかー?ということで。
電話すべて無視!(←コラッ)
そんなエキサイティングな日々を過ごしているうちに。
今度はホントの返事がメールで来た。
1週間後にskypeでビデオチャットで面接します。と。

その日から1週間。
ひぇ〜ッ!というテンションのまま。
job interview Q&A を調べ、答えを用意、人も巻き込み。
またまた1週間大騒ぎ。

えっ。
ところで。スーツ着るんかいな?
いや、自分ちでスーツ着てたらバカでしょ。
あんたんち畳だし。床生活だし。あの部屋でスーツ?
え〜〜っ。

とか言っているうちに本番到来。
テンパリは極地。面接は夕方だというのに。
朝6時からずっと想定問答を一人でブツブツ。
もー。無理!英語で面接なんてできなーい!
(↑何か間違っている…)
ということで。
カンニングペーパーを用意した。
フフ。相手はまさかこんな状態でしゃべっているとは思うまい↓
















ところがっ。
こんなに用意したにもかかわらず。
何一つ、この中のものは聞かれず…。

ま。そんなもんです。
やはり。世の中。
想像したことは起きないか…。
(参照:(続2)自説: 想像したことは起きない)

次は別の人と面接第2弾とのこと。
もしや。
これも、想像してるから起きないのか!

2009年9月25日金曜日

失業ブルース #4

****無用にドキドキする日々****

不動産屋というのは。
働いて、収入がある人。
そしてそれを証明できる人にしか部屋は貸さない。
この家があるのも。
『会社で働いている人』という肩書きがあるからで。
年収も見せているからで…。
契約書にも勤務地があるからなのだが…。

「あらー。今日お休み?」と隣人から言われて以来。
ン!?いかん。無職が不動産屋にバレる。
というわけで。
18時30にならないと電気をつけられなくなってしまった!

なぜ私は暗闇でPCのキーボードを叩いているのじゃー。
なぜ暗闇でギター?
昼間は昼間で。
なぜドキドキしながら布団干しているんじゃー。
で。隣人の帰宅時間とずらして出かけたり…。
もー。くだらん。マヌケすぎるーッ!

不動産屋も。
会社員だから信用できるとかその短絡的発想は。
いかがかと…。

しかし。まあ。
こんなストレスによって。
わりとエキサイティングな日々になっている。

2009年9月20日日曜日

失業ブルース #3

**** 勝手に葛藤 ****

会社に行かなくなって2週間。
とりあえず仕事もなさそうだし…。
毎日ギターの練習だー。いいのかー!
と不安ながらもウキウキしていたのだが…。
軽い気持ちで声かけていた会社から返事がきてしまった。
履歴書を送れと…。
しかーし。
その会社というのはドイツの会社。
ドイツで働くわけだ。

ウー…。
5年前だったらなあ。迷わず行くのだが。
ウー…。あの過酷な生活がまた始まるのかー。

というのも。
私は過去、鞄一つで勝手にドイツに引越したのだが。
仕事があるわけでも、学生なわけでも。
誰かの奥さんでもなかった。
数年居続けたものの生活は散々で。
最終的には色々な意味でゲルマン生活に負けて帰って来た。
だから。仕事があり呼ばれて行くのは憧れであった。
しかーし。ウ〜ッ…。今更ドイツか…。

もー。一人ではいてもたってもいられず。
毎日、人を呼び出してはお茶かランチ。

「 日本でヌクヌク暮らしたいよー。でもーっ!
人間、過酷な道を選ばないと面白い人なんかになれなーいッ!」
(↑誰も女に面白さなんて求めていない…)
「もー、マユさん、もう十分面白いからッ!」
「ドイツは辛ーい!いやだーッ!」
「じゃあ。行かなければいいじゃん」
「ウー…。平凡な道は選べない。冒険と苦行は買ってでも得ねばっ」
「もー。マユさん、それ。ハードコアすぎるからッ!」

というような会話をここ1週間以上、
毎日、人を変え場所を変え繰り返し大騒ぎ。
で、ふと友人が言った。
「ちょっと待って。まだ履歴書送ってないんでしょ。送ろうよ。それから考えようよ。落ちるかもしれないしさ」

あー。そうであった。
履歴書も送っていないのに。
勝手に毎日大騒ぎしていた。

面白い人間になるのが目標か。
そして。面白さは、
やはり色々な経験と哀しみと過酷な道を通って得られるのか。
そして。
それは笑える過酷か。 (参照: 正しき試練の選び方)
でも。平凡な生活だって過酷ではないのか。

あー。先に履歴書ね。
ハイハイ。



2009年9月18日金曜日

失業ブルース #2

****ヌクヌク島を出されたもう一つのわけ****

スキスキー。大好きー。
みたいに思ってても。
あら?あんた違ったの?

ってことがあるように。
経験を積んだり、ちょっとした出来事に遭遇すると。
人の考えや信念なんて意外とコロリと変わるもんで…。
私もサラリーマン社会、
しかも絵に書いたような日本の大企業メーカーに送られて4年半。
その間に信念がいつのまにか変わった…。

私は安定の象徴 - サラリーマン- を見下していた。
もっと言えば、
乱暴な話だが就職する人を見下していた。
社会の枠の外にいるヒッピーが一番エラかった。←バカ

しかーし。
毎日、4年も接するうちに。
私の中から彼らに対する軽蔑心はなくなった。
そう。それを体感するために私はここへ送られていたのだ。
(参照: 勝手に決定: 今生の務め
自分とこんな価値観が違う人たちと。
毎日アホな冗談を言い合い、
気がつけばこちらも完全に素な状態で毎日笑って過ごした。

そう。つまり。
サラリーマンを軽蔑する心がなくなり、
個々の人間として見れるようになった時点で卒業したのだ。
ここでの私の学びは終わった。
ってわけで。
ヌクヌク島は出され、
また次の島まで泳げってことで海に放り込まれたのだが…。

先日。
ちょっと口が滑って。
「もー。次の仕事がスーパーのレジしかなかったら泣けるーッ」
と言ってしまった…。
あーッ!もしや、次はこの軽蔑心をなくすために。
スーパーのレジに送られるのか!

もう散々、低賃金で肉体労働しました。
(参照: 連載: 履歴書に載らない履歴 #1)。
かんべんしてください…。

2009年9月13日日曜日

正しき試練の選び方

30半ばを過ぎて。
苦労をしても。
自分に厳しくしても。
過酷な道を歩んでもよいけれど。
それがお笑いになるならば正しい。

しかーし。
端からみて。
苦しそうであったり、寒く見えてしまうのは。
正しい試練ではない。
たぶん。
自己満足か自己陶酔。

すべては笑えるか笑えないか。
そんな基準で試練も選びたいもんだ。

もー。お前は芸人か…。

2009年9月9日水曜日

失業ブルース #1

*****金融危機の舞台裏*****

安定した収入と暮らしが訪れると。
このままでよいのかー。
立ち上がれー!と
仕事を辞め、わざわざ不安定な道を選んでいた20代。
最終的には日本も飛び出し。
超不安定な生活をすること4年。
その間、3カ国4都市で暮らし引越すること12回。
精魂尽き果てて日本に戻ったのが31歳だった。
そんな流浪の民にも救う神あり(←物好き)。
とある企業に拾われ、契約で働くことになった。

それから4年半、現在に至まで。
ヌクヌクと暮した。
いつも自らに試練を与えていたお前よ、何処へいったー。
という囁きも聞こえなくはなかったが。
そんなの無視。
あー。毎月給料もらえて幸せー。
1ユーロ(120円程度)のシャンプーを買っていたような人間が。
(注: 洗剤ではありません)
1800円するシャンプーを買うようになり。
もー。自分的にはかなりバブリー。
ヌクヌク暮らした。

しかーし。
上空からこっそり見ていた人はしびれを切らした。
いいかげんにせーッ!
もう君は自ら海に飛び込まない。
それでは。私が…。
エイッ!
と、海に放り込んだ。

これが私の派遣切り。失業じゃ。
表向きは世界の金融危機の影響がここにも。
ということだが…しかし。
舞台裏はもっと大仕掛けで仕組まれたものなのです。
まあ。ありがたく海で泳ぎます。
辿りつくのは何処へやら。

2009年8月31日月曜日

運命はどこまで白紙か

私は、いわゆる運命論者であった。

18の時、進学で2者択一を迫られた。
受かったほうの学校でよいやと思っていたら。
両方受かっってしまった…。
で。どちらにしたいか決められない。
期限は迫る…。
いやまて。
どちらにせよ、1ヶ月後にはどっちかになっているわけで…。
それでは。と。
考えることを放棄した。寝続けた。
時が流れるのを待った。
だって。
どうせ。決まっているんだもん。

そう。何を決定するかは既に決まっているという。
極端な運命論者であったのだ。

しかし。
最近は、ちょっと違うのではないかと思う。
ここでこんな人に出会うとか。
ここでこんな出来事に遭遇するとかは決まっていても。
そこでどう決定するかはあくまで白紙なのだと。
つまり。
出来事は仕組まれていても。
決定は白紙なのだ。

ある古武術家が言っていたが。
『運命は全てが決まっているが。
裏返せばすべては白紙であると』
なるほど。そうだったのだ。

考える事を放棄したあの18の春。
決断を下さないため、結局。
一ヶ月経っても何も決定はされなかった。
で。
そのために大金が無駄になることになった…。

実は。ここで決まっていたことは。
『大きな迷いに遭遇し決断を迫られる』
ということだけで。
決定権は天になく私にあったということを。
私は知らなかったのですねぇ。

そういや。思い返せば迷っていた進路は。
英文科と画像技術科。
もー。こんな違う学科を受ける私も私だが。
どうやったらそんな違う進路を迷えるんじゃー。
全く…。

2009年8月24日月曜日

話半分

仕事の面接なんかでは。
自分の実際の能力の5割増くらいに言うもので。
面接官は5割引いて聞くものだと私は思っているのだが。
(実際、5割引いているかは知らない)

面接に限らず。日常でも。
人の話は半分に聞くのがよいと思う。
怒られてもムカツキ度半分。
誉められても、天狗度半分。
期待度も半分。
期待が半分なら、
喜びは倍増ってわけである。

2009年8月17日月曜日

地震で訓練する今際

人生の最期の目標は。
動物のようにコロっと逝く事と。
今わの際にドタバタしない事である。

*******************
私は、震度1くらいでも、
立ち上がってオロオロするという。
かなりみっともないくらいの地震恐怖症である。

小学生の時に。
ホントかウソか知らないが。
東京は歴史的に見ると60年に一度大地震が起きる。
という話を聞いた。
当時、既に関東大震災から70年近く経っていたので。
それ以来。
地震恐怖症になってしまった…。

で。
子供のころ、
自分の命より大事な犬を飼っていたのだが。
グラっと地震が来る度。
「アリ助~ッ!(<--犬の名前)」
と、2階から飛脚も真っ青のスピードで、
階段を転げ落ちるごとく駆け下り、
1階にいる犬を抱きかかえ救助したものだった。
が、実は震度2くらいだったりした。

つまり。
私的にはグラっとくれば。
あーッ!遂に来たか大地震!
となるわけで。
そんなエキサイティングな空振りを
まあ。なんと20年くらい繰り返しているのである。

よって。
地震の度にオロオロしていたのだが。
ある時。
今わの際にドタバタするのはみっともない。
と覚悟を決めた。
今の家は築40年のマンションの5階なので。
何かあったら絶対崩れるという自信がある。
でも。ここ1, 2年は。
終わるなら終われ!と。
ユラユラ揺れるベットの上で、
遊園地のごとく、その揺れに任せられるまでになった。

が、先日。
グラッっときた時、やってしまった。
オロオロ立ち上がり。
部屋をウロつくこと10数秒。
なぜかクッションを掴み頭に乗せた。
『明け方に。クッションを頭にのせ、呆然と立つ30女』の図。
というのが出来上がってしまった。

どうやら、よほど生きたいらしい。
死の間際にドーンと構え。
その時を待つ。
というのはなかなか難しいと感じたのでした。

これからは。
地震の度に非難訓練でなく
今わの際を訓練しようと思う。

2009年8月2日日曜日

奥様とパンク

スピーカーを新調し天井近くに取り付けた。
おー。スゲー。音が違うぜー。
と、ロックなんかに浸っているときにセールスの電話。
「あのー。奥様は~。インターネットなんかは…」

もうガクっときて、一気に意気消沈。
なんか立てなくなり、もう横になりたくなった。

あのねー。奥様って~さー。
わたしゃ、
もー。こんなにもロック聞いてたのにー。
もー。こんなに自立してるのにー。
もー。パンクでありたいって思っているのにー。

まあ。
世の中的には30代女性を奥様って呼ぶのが無難なのだろう。
が、これもなんだか前時代的な発想である。

私は自立をするのが好きなのだと思う。
で、自立するのが支えであり、働く意欲なのだ。
で、『奥様』って言葉で一気に吹き消されるから。
ガクっと来るのだ。

何かで読んだが。
端からみた男の幸せは『成功』であるが。
端からみた女の幸せとは。
成功ではなくやはり家庭とかそーゆもんになるらしい。
いくら専門分野で成功しても。
『あたたかい家庭』っていう背景がないと。
本人がどうあれ決して幸せに見えないらしい。
『寒い』と思われず、
且つ、格好良く生きるというのは。
中年以上の女にとってすごーく難しい課題である。

じゃあ。
パンクで自立した奥様ならばいいのか。

奥様ねぇ…。

2009年7月22日水曜日

日食騒動に学ぶこの世の掟

皆既日食の騒動で、
トカラ列島悪石島に
人々が押し寄せたものの。
日食の時間がせまると、
避難勧告が出るほどの暴風雨となった。

というニュースをある種の感慨を持って見ていた。
ウーン。そうなのだ!
これがこの世の掟なのだ!

人々が何を想像し、そこへ行ったか。
集まった人々のものすごい想像と期待が島中を包み込む中。
『そうは問屋が卸さんぞ。フフフ』
と、なるわけで。
やはり。
自分の努力と無関係なことは。
想像してもそれは起きないのだ。

だから。
オーロラツアーでもオーロラが見えないほうが。
とても理にかなっているのである。

悪石島の暴風雨は。
この世の縮図を短絡的に見せてくれたような気がし。
日食は見ていないが。
なぜかとても感慨深いのであった…。

参照:
自説:自説: 想像した事は起きない
(続)自説:想像した事は起きない

2009年7月20日月曜日

来世男子希望

女の子の赤ちゃんが生まれると、
いやあほんと女の子でよかったよー。
という発言をよく聞く。
その度に『えーッ!? なんで??』と私は思うのだが…。
で。その反対、
『産むなら男の子でしょ』という女性の発言を聞いたことがない。
で。つい最近の新聞の投書には以下のようなものがあった…。↓

2児の男子の母です。
女の子のママから『男の子ばかりで大変ね』
と言われるのがいやでたまりません。
息子達は本当にかわいいのですが。
私自身、女の子を育ててみたいと思う気持ちが強く、
3人目も欲しいのですが、
また男の子だと思うと踏み切れません。

とあり↑。
ヘェ~ッ。と、おっタマげてしまった…。
どうやら皆、女性は女の子が欲しいらしい。
しかし。
私としては、どちらかって言われたら絶対男の子でしょ。
と思うのです。

で。考えてみると。
私は子供の頃から女子に大いに悩まされてきたのだと思う。
女子が好むものや行動が基本的に嫌いで。
中学校での、
『一緒にトイレ行こう!』なーんて本当に意味不明で。
私はいつも四苦八苦して断ったもんだが。
これは女子の特性を大いに表していると思う。
集団性と理不尽性。
(君の尿意は私の尿意ではない)

これはもうある種、一つの性別である。
で。
この第3の性がかなりの猛威を振るっているわけで…。
この特性を持っていない女性は女社会で生きるのが大変なのです。

女の子が欲しいと言う女性は、
自分自身、来世選べるならばまた女を希望したいのだと思う。
私?
私は、女子が猛威を振るう世界である限り。
来世、男子を希望したい。
で。
まあ。立ちションでもしますか。
(↑実は子供のとき試したことあるがうまく行かず…笑)

2009年7月5日日曜日

正しきビニール傘のあり方と日本

うちの会社は食堂が別棟にあるのだが。
とある昼時。雨であった。
食堂に行こうとオフィスのビルから出て来た女子たち。
「えーッ。雨だよー。雨。どうするー?どうするーぅ?」
とジタバタすること数十秒。
その後、傘のつもりか。
手に持った太っちょな二つ折りの財布を頭上に掲げ
キャー。といいながら女子たちは雨の中を走っていった…。
しかし。
その食堂までの距離、10メートル…。

『どうする?』って。
じゃあ何かー。昼飯食わないという選択肢があるんかー。
と突っ込みたくなるところだが。
ともかく。
日本人にとって傘は重大問題らしく。
駅から3分でも。
ちょっとの小降りでも。
コンビニでビニール傘を買う国民なのだ。

しかし。
このビニール傘ってのは。
どうもあちこちに忘れがちで。
恐ろしい数のビニール傘が日本中に余っていると思われる。
ビニール傘に趣味趣向があるわけでもあるまいし。
世にそんな余っているものを買うのはほんとバカらしい。

そこで。提案。
日本中が、置き忘れ。取られ。買い。
と繰り返しているのだから。
存在するビニール傘はもう国民のものでよい。

というわけで。
私は、不意などうしようもない雨の日は。
まあ。なんと言いますか。
既に実践している…。
その辺のボロそうなビニール傘を使う。
だって。もう国民のものでしょ。

鉄道会社よ。
雨の日は余り余ったビニール傘を放出しましょう。
そんな忘れものは誰も取りにこない。

しかし。
本当は、小雨くらいなら。
『あ。雨だ』とパーカーのフードを自然に被って。
躊躇なく雨の中を進む。
そんな光景が日本にもあったらよいと思う。
そういう些細なことが。
ほどよいテキトーさを備えた住みやすい国になるのだと思う。
ビニール傘が繁盛する社会はどこか歪んでいる。

日本よ。
男も女も雨くらいでジタバタするんじゃない。

2009年6月7日日曜日

ジョン・レノンは夢想家か

30代後半で一度も結婚していない男性って、
なんかあるのかなー。って思っちゃう。
だったら、一回くらい結婚した人のほうが安心ー!

というのは、どうやら世間の思想らしく。
こんな発言を女性からチラホラと聞く。

ウーン。
この発言を聞くとなんだか哀しくもやるせない気分になる。
いや、別に自分が30代後半の独身で(まあ女性ですが)、
自分もそう見られているのかも。
というのが哀しいわけでなく。
この世の中の、単一思想性が哀しいのだ。

私は常々、
多様性を受け入れられるのが成熟した社会で。
それが先進国であるべきだ。と思っている。
顔にピアスをしているのが受け入れられるように。
ゲイの結婚が受け入れられるように。
精神の先進国とは。
多様性を受け入れることだと思っている。

冒頭に出た結婚していない男は。
『結婚する』というのがノーマルであるという世の中で。
結婚しなかったというのが逸脱しているから、ちょっと…。
ということなのだが。
ちょっと待て。
その『ノーマルからの逸脱』は、
電車の中、
目の前で年寄りが立っているのに無視して座り続けるという、
『ノーマルな人間的感覚』からの逸脱ではない。
単に大多数の人の生活常識 -『あたり前』から逸脱しているだけである。
常識から見たあたり前と、
良識から見たあたり前とは違う。
良識から外れたものには善悪があるが。
常識から外れたものには善悪はないのだ。

私は反結婚主義者でもなんでもない。
ただ。
どちらかがどちらかを見下すでもなく。
両方の世界とも。
あーそうなんだ。と受け入れられる。
そんな社会でありたいーッ!

♫イマジン ゼアーズ ノー カントリーズ!
(チャチャチャン♫)

♫イマジン オール ザ ピーポー、
リビング ライフ イン ピィ~ス
(ユ、フ~ ゥゥゥ♫) 
♫ ユ メイ セーイ アイ アム ア ドリーマ~!

いかーん。盛り上がってジョン・レノンになってしまった。
でもね。
全人類が28歳で結婚して。
その翌年に子供をもうけるという同じ人生だったら。
それはどんなにキモチ悪いだろう。
人は皆、違っていないと崩壊した社会になるのだ。

そういえば。
人間に知能がある限り、
人種差別や、偏見はなくならないと説いたのは、
リリー・フランキーであった。

確かに。
人間が差別や偏見を持たないことは、きっとない。
それは。
人にはそれぞれの価値観があるからだ。
じゃあ。偏見を持ってもよい。
ただ単に。多様性を受け入れよう。
受け入れて成熟しよう。

ア、ハ~ァァア!
♫君は僕のことを夢想家だと言うだろう。
(あー。夢想家かもしれん)
♫but, アイム ノット ディ  オンリー ワン

いかーん。またジョンレノンが降りてきてしまった…。

2009年5月14日木曜日

少子化と来世の空きと養豚コース

私は。
何事も、物事は大きく捉え。
遠くから見る方が。
真髄に迫れ、物が見えると思っている。

世の中は少子化とよく叫んでいるが。
どうもこの問題が出た当初から。
その視点が気に入らん。

20世紀初頭に16億人だった地球の人口が。
今や67億人。
これ以上増やしてどうしようというのか。
なぜ誰も、
地球でなく日本の観点からしか話さず。
100年後でなく30年後のことしか話さないのか。
と、不思議なわけです。

確かに。
私たちが老人になったとき、
世は老人だらけになる。
しかし、私たちが死ぬ時。
大量の老人が死んでくれるわけで。
一時、苦しい時代が来るかもしれないが。
私たちが死んだ後は楽になるのではないか。
それでいいのではないか。
と、ずーっと思っていて…。

もちろん。次の世代だって。
生まれる人が少ないと老人の割合は必然と多くなる。
でも、それが普通の構成になり、
人口が減るなら。
まあ、いいのではないかと浅はかに思うわけである。

物事の視点は。
物理的にも、時空的にも。
大きく見る方が正しいような気がするのです。

しかーし。別の問題が…。
人口が減ると、来世また人間を希望しても。
あぶれる人がいっぱいってわけで。
人間コースは順番待ち1000年とかなるのだろうか…。
あぶれた人は回転が速い養豚とかに行くのか。
養豚はねぇ。辛いかも…。

2009年5月3日日曜日

ゴールデンウィークの目標

私はどうも。
意思が弱いというか。
生理的欲求に勝てない性分なもので。
食いたければ我慢できないし。
眠ければ寝る。
で。
食うのも問題だが。
いかんせん。よう寝る。
これがなかなか問題で。
週末ともなると、
昼寝が4時間とかは日常茶飯事。
ひどいときなんて昼の3時に寝て
起きるのが次の日の朝なんてことも時々ある。
起きていた時間が1日のうち5時間とか…。

これはいかん。
やりたいことはたくさんある。
しかし、眠ってしまうのだ。
寝ているときはあっちの世界にいるという説もあるくらいだから。
もう、いかにこの世にいないことか。

前回、私にとってゴールデンウィークとは。
日曜日を7回やるだけのことで。
連休だからどうのこうのということはない。
と述べたが。
そんな私にもこの連休の目標がある。

とりあえず起きていること。

おそらく。
日本一、低レベルな目標である。

2009年4月25日土曜日

天気と文句と老化

寒いだ。暑いだと。
私もよく言うが。
よーく考えてみれば。
子供の頃はそんなこと言わなかった…。

しかし。大人になると。
雨でがっかりしてみたり。
湿気が多いだとか。
4月なのに寒いだとか。
なかなか春が来ないだとか。
不満を口にするようになる。

そもそも4月になったらこういう季節だ。
というのも。
いわゆる前例の積み重ねで。
そんなものは地球の異常気象と共に変わるもんで。
時代と共に変わり。
変化する常識と同じである。
(参照: はかなき常識 )

その日ある天気さえを。
感想なしに受け入れられないようでは。
人が日々ありとあらゆることに、
ストレスを抱えるのは当たり前なわけで…。
天気に対して文句を言ったとき。
人は自らのことを。
あー。年だと認識したいもんだ。
そして。
責めるべくは天気でなく。
老化した自分の頭と感性である。

望ましくは。
「雨だ」で終わり。
そのあとに「……」という感想はない。

今日は春なのに寒い。そして雨。
ちょっとがっかり。
そして私は。
自分の老化した感性にがっかりしなければならない。

2009年4月23日木曜日

棚からぼたもち論

私は金に貪欲になりたくない。
なぜならば貪欲になればなるほど。
そういうものはすり抜けてゆく。
だから。
プレゼントも、自分の収入とバランスが悪くとも。
関係なくあげたいものを渡す。
それにより来月金がちょっと心配になってもよい。
金は追わない。

しかーし。
『追うと逃げるから追わない』というのは。
実は欲しいわけで…。
『追うと逃げるから追わない』というのは。
実は追っている。
つまり。
本当に『追わない』というのは。
それさえ思わない境地に達することだが。
『思わない』ということ時点では既に思っている。
つまり。
『思わない』って思っていることさえも気付かない。
そーんな境地に達しないと。
棚からぼたもちは落ちないのである。

「そんなこと思っていないしー」
なーんて言うのは甘いのだ。

2009年4月17日金曜日

年齢の認識

15歳のとき。
もう年は取るのはいやだ。と思った。
それは。
あー。もう16歳になってしまう~ッ。
という焦りであり。
いわゆる、大人がよく言う。
もー。30になっちゃう~ッ。
的な焦りと同じ感覚であった。
それが16歳で始まっただけである。

それ以来ずっと誕生日は。
もー。18歳になってしまった。とか
あーあ。もう24歳だ。
という繰り返しであり。
自分の思い描くxx歳の絵図らとの距離。
その暗黙のタイムリミットに対する戦いであった。

そのうち。
年齢は自然と頭の中から排除された。
実際、32歳のころは。
年齢を聞かれて、あれ?何歳だっけ?
なーんてこともあった。

それが、諦めというか。
1年くらい前、34歳くらいからどーでもよくなった。
一生懸命隠していた白髪も染めるのをやめた。白髪全開。
(まあ。ちょっと恥ずかしいときもある)
いや。別に身なりがどうでもよくなったわけでなく。
身なりはきちんとおしゃれでありたいし。
気を遣いたい。
ただ認識したいのだ。

そう。わたしは中年。
35歳なのだ。

いやあ。ほんと。
16歳から無意味な長い戦いであった。
無駄な抵抗はやめた。
絶対的事実として、時は過ぎてゆく。
年齢を受け入れられないのは哀しい。
年齢を日々認識して生きていくほうが。
若くありたいと願い、そう見せかけるよりも。
ハッピーで前に進むのだ。

16歳から約20年。
やっと。
年齢を超えた…。

次は性別を超えたりして(笑)
ンー。それはいいのかー!

2009年3月26日木曜日

善行と気分とマザーテレサ

世の中的に。
良しとされていることや。
偉いとされていることは、まあいろいろある。
一生懸命に何かに打ち込んだり。
家族を養ったり。
ボランティアしたり、人のために何かをしたり。

でも。
突き詰めると。
そうしないと良心の呵責にさいなまれたり。
気分が悪かったりして。
結局は。
自分がそうしたいから。
そのほうが気分がよいからするわけで…。

たとえ、人のために割いた時間でも。
そのように選択したのは自分なのだ。
だって。
そうしないと。気分悪いんだもん。

人のために生きたと言われるマザーテレサだって。
自分のためでもあったはずだ。
奉仕することで気分がよかったはずだ。

そう考えると。
別に物事に偉いもクソもない。
だから。
人のために生きよう!
とはよく言うが…。
結局は自分なんじゃないのー?ンー?ホレ~。
と肘で突っつきたくなる。
別に自分のためでもよいのだが。
そういう自覚が欲しいのだ。

マザーテレサまで持ち出し。
また問題発言をしてしまった。
これもまた。
言う選択をしたのは自分であり。
そうするほうが気分がよいからなのですねぇ。

2009年3月16日月曜日

考察: 自由が丘平日昼11時

自由が丘。昼11時。
同年代の主婦10人ほどが
スタバで歓談していた。
なぜか、異様な光景に見えた…。

人はある程度、社会やコミュニティに属するものだ。

私は。
学生でもなければ、働いている人でもなく。
誰かの奥さんでもなければ。
親に寄生するニートでもなく。
旅人でもなければ。
仙人でもない。という、
なーんにも属していない時期がしばらくあったのだが。
(プラス、なーんにもしていなかった)
それはそれで。
なかなか気が狂うものであり。
永遠には続かないものであった。

やっぱり。
人は社会生活を送るならば何かに属することとなる。

友人曰く。
単一民族の社会は病みやすい。と。
確かに。
我々日本人は多様性に慣れていない。
その中で更にコミュニティや社会に属するわけで。
狭い世界ったらありゃしない。
その中では更に不健康な状態となる。
だから。
どんな所に属していようと。
一歩、輪から下がって傍観する姿勢は欲しい。
属しているが、属していない。
その中立点でないと。
ものは見えないのではないか。

しかしまあ。お前ら。
そうですよねー。って言い合うのは。
会話じゃないのだー。

あの異様さは。
年齢も性別も、生活レベルも自分の置かれた状況も。
なにもかもが同じである中で(<--勝手に決めている)。
そうですよねー。と言い合う。
虚しさが空気となり漂った結果なのかもしれない。

まあ。
たかが、そのテーブル脇を通りすぎた者に。
ここまで言われるのもよけいなお世話ね。

以上、
とある平日の昼間に見た光景の考察でしたー。

2009年3月8日日曜日

勝手に決定: 今生の務め

私はながーい間。
サラリーマンを。
人生に安定だけを求めるつまらん集団。
と認識し、軽蔑してきた。
とは言っても。
自分も『契約』という身で企業で働いてきたわけで。
(注: 例外、シリーズ: 履歴書に載らない履歴 #1)
まあ。契約だって彼らと同じサラリーマンなのだが。
私にとって『契約』というのは。
『安定』を選んでいない証であり。
私の最後の砦で。
アイデンティティであり、誇りであった。

で。
別の人種と認識しているサラリーマンや、
会社の女子と過ごす日々は。
金のためと割り切り。
同化しないように、自分のスタイルを守り続けた。
そんなんだから。
ビジネスカシュアルギリギリの服装や。
『ドロップハンドルの自転車で通勤する女』の図。
とかにいちいち反応され。
その度に。
お前らは、社会の多様性に対して免疫がなさすぎる…。
とやるせなくなったもんだ。

しかーし。
最近、わかったのだ。
蔑視していたサラリーマン達も。
ロボットではなかったのだ。
創造的な事をする人もいれば。
組織と闘う人もいる。
そうか。
私は、私が蔑視していることが実は違うんだ。
という事を理解するために。
きっと。こーゆサラリーマン社会に送られているのだ。
で。
私は私で、その社会に対し。
「ン!??なんか変な人がいるー」
という別のエッセンスを与えるためにいるのかもー。
と思うのである(ちょっとおこがましいが…)。

わかった。
そうか。それが私の務めならば。
もう抜け出すことは考えない。

明日も、腰のタトゥーをチラつかせながら。
サラリーマン社会で堂々と働くのだ。
フフフ。
タトゥーはドレスじゃないからね。
会社のドレスコードにひっかからないし。ガハハ。

あー。こんな事していると、
エッセンスを社会に注入する前に本当にクビになるかも。
いかーん。
今生の務めが…果たせなくなる…。

2009年3月1日日曜日

得るための権利

ドキドキを得たければ。
安定を失い。
安定を得たければドキドキを失う。

何かを得るということは。
何かを失うことであり。
失ってもよいと思うとき。
初めてその欲しい何かを手に入れる権利がある。
のだと思う。

2009年2月23日月曜日

生活とアイデンティティ

日々の生活のために働くなんて哀しい。
とかよく言うけれど。
生活のために働くのは。
決して。哀しい事でも虚しいことでもない。
だって。
生活はアイデンティティだから。

2009年2月21日土曜日

言葉は怖い

とあるレストランにて。
身体どっか痛い?という話題になった。
ンー。痛いとこはないねえ。
なんか腰とか痛い人って多いよね。
そーゆーのないんだよねぇガハハ。
と言い放った私。
その直後。
大荷物を背負いヘンな体勢でスクーターで帰宅。
あれ?腰がイテー。

もー。この物事反転する力。
言葉は本当に恐ろしい…。

やっぱり誰か上から見てる…。

2009年2月14日土曜日

動いている事は美徳か

食料品店にて。
袋はいりません。というと。
大概、シールを貼る。
品物3点なら、3点に。
まだ貼っていないものをしまおうとすると。
『失礼します』とかなんとか言い、
義務感にかられ、あたふたと貼る。

まあ。理由はわかる。
買ったという印だ。
しかし、それが10点にもなると。
まったく貼ろうともしない。
では。
その3点に慌てて貼っていた。
君のあの行動は一体何だったのか。
君の義務感は何だったのか。

君の義務感とは。
テープを貼らなきゃいけない義務でなく。
手持ち無沙汰を恐れるがための呪縛ではないのか。
(それが社のルールであっても)

すべての事に意味は求めないが。
もー。なんせ日々遭遇することだけに。
もー。首尾一貫希望。

この仮説が合っているとしたら。
動いていることが建前であり。
動いていることが美徳で。
なーんだか。
文化レベルを疑ってしまう。
もっと。世の中は。
のんべんタラリンとしてよいのだ。

p.s.  成×石×とか、カ×ディコ×ヒ×でこの行動は顕著に見られる。

疑問: 輪廻の輪の始まり

輪廻転生というのは。
社会的にそれなりの地位というか。
認識を得ているし。
私も。
何となくそのようなものを思っている。
(参照:ひでー話 )
しかーし。
大いに疑問もある。

では。
その輪廻の輪はどこからスタートしたのか。
現在、地球に67億人いるが。
最初から67億個の輪というか。
67億個の生命と魂があったわけではない。
つまり。
生まれ変わり以外の魂と生命体があるということになる。
では。輪廻転生の世界観の中では。
それらはどこから来たことになるのか。

まあ。
こーゆ話に明るいわけではないので。
その世界での見解は知らんが。
結局。
人には知り得ない事だと私は思っている。
中島らもは、
人間が知り得ないことについて。
おもしろい見解をしている。

結局。
アリはアリの世界で生き。
その中だけの価値観。
その中だけのスケールでしかものを見れない。
それ以上の世界を見ることはなく。
見たとしたらそのあまりの大きさにショックで死んでしまうだろう。
これは、おそらく人間にもあてはまり。
人間の知り得ないことは人間である以上知る由も術もなく。
知ってしまったら、あまりの大きさに対処できないのではないか。
ということで。その仕組み上。
人間は真理を知ることができない。

というようなことを言っていた。
うーん。
知らない世界があるってこと以上のことは。
知り得ないというわけですなぁ。
ってなわけで。
ジタバタしてもしょうがないのである。

2009年2月12日木曜日

おこがましい表現: 伸ばす

私は昔から。
『伸ばす』という表現が大嫌いだ。
××を伸ばしたほうがよいかと思って~。
と人が言うとき。
それは。
既に××がある一定以上で。
人並み以上であることを示す。
そして。
それを得たら、
自分にとって何かプラスになり。
社会的によい方向へ向かうという意味合いも含む。
(まあ。概して、キャリアとかそういったものだ)

で。大概、そーゆ発言をする人に限って。
××は、別にねぇ…?といったレベルである。

で。
××が『英語』だとさらに腹立たしいのだ。
(参照: 英語崇拝 )
英語を伸ばそうかと思って~。
なーんて言う女子とは。
あまりお友達になりたいとは思わん。
やろうかと思ってー。
と言えばよいのである。

p.s. しかしまあ。私はホント女子が嫌いですねぇ。なんだ?カルマか。

2009年2月7日土曜日

美学: 有言ムリヤリ実行

20歳のとき働いていた会社で。
いつも。
「私、来月くらいに辞めるからさぁ」
と言い続けていたお局がいた。
数ヶ月たっても同じことを言う。
とても格好悪いと思った。
で。
私は1年後、21歳の時、
そこを辞めたのだが。
辞表を出すまで誰にも言わなかった。
お局はとてもびっくりしていた。
心の中で。
見たかー!お局。こうやって辞めるんだ!
生きる美学を持て!
と言った。

自分自身の言葉に重みをつけられるのは自分だけだ。

2年間プータローとして極寒の地ベルリンで生活し。
それも終焉を迎えるころ。
もうドイツ語も極寒もたくさん。
日本に戻ったら、
わたしゃ、半年後にオーストラリアに行くー!
と宣言した。
日本に戻って半年暮すうちに。
勝手がわかっている自国で。
それなりに友達もいて。
家もあって。ごはんも旨い。
日本を出るのが面倒になった。
しかーし。
私は、言ってしまったのだ。
そう。宣言してしまったのだ。
で。
また、鞄一個で当てもない南半球へと向かわねばならなかった。
行かなくてもよかった。
でも。行った。
だって。言っちゃったんだもん…。

言葉というのは。
本来それくらい重みのあるものなのだ。

私には。
あの20歳当時からのそんな美学がある(<--一応ね)。
言ったことはやる。
できなくてもやる。
やらないことは言わない。
できないことも言わない。
できないかもしれないことも言わない。
それはできてから言う。

しかーし。
かく言う私もこの美学に反することがある。
今日はもう食わん。痩せるー。
と誓った2時間後には食っている。

もう。痩せると言うのは辞める…。
いや。これぞ。
有言ムリヤリ実行すべきか。

2009年2月2日月曜日

元旦のよろしくメール

遡ること一ヶ月ほど前。
日本の女子たちはしきりに。
ケータイから発信した。

元旦の日本。
ニッポンの空を見上げると。
『今年もヨロシクーっ!』
『ヨロシクねーっ!』
『うん。ヨロシクーっ!』
『ヨロシクーーっ!』
という一行だけの文面が。
恐ろしい数飛び交っていた。

そして。
私も、女子の端くれとしてそれを受け取った一人。
しかし。
そんな一行に。
私はなんと答えればよいのか。

こちらこそヨロシクねー。
そんなつまらんメールは。
私には書けない…。
そして。
きっと。
来年の元旦にも書けない…。

で、それは。
11ヶ月後にまたやってくる。
どーしよ。

2009年1月27日火曜日

勝手にダメな人定義

フルーツとナッツが嫌いな人。
駅ビルが好きな人。
2月に春を感じられない人。

以上。
なんとなくダメと感じる人でした。
まあ。私も駅ビルは利用しますが…。

2009年1月23日金曜日

言論の自由と発言権

外国に行ったことない人は。
日本が一番。
と、言ってはいけない。
なぜならば。
外国を経験していないのだから。

同様に。
結婚しろ、子供を持て、貯金しろ、老後を考えろ。
という社会の通念に。
「でもね…」
と、ちょっと意見するとき。
それらを経験していない者が反論しても。
それは社会的に聞き入れてもらえない。

言論の自由はあれど。
社会的発言権というのは。
意外と少ないもんだ。

結婚して、子供を持って、貯金して、老後を経験してからでないと。
『でもね』って私は言えない訳なのだが…。
『でもね』って言いてー。

でもね。
当たり前の事を言うのは簡単なのよ。
(あー。言ってしまった!)

2009年1月18日日曜日

頑張りと執着と依存

私はこんなにも頑張っているのにーっ!
キーッ!
となる人は。
私はこんなにも執着し。
こんなにも依存している。
と思うと。
自らを美化せず、
己を客観的に見れてよい。

頑張るとは。
ある意味、
それに執着と依存もしているということで。
それらと表裏一体なのだ。

2009年1月17日土曜日

はかなき常識

コペルニクスが地動説を唱えるまで。
太陽と星は地球の周りを公転していた。
それが常識であった。
ガリレオは。
その地動説を唱えたがために、
裁判にかけられ有罪となった…。

常識というのは過去何千年も信じられていても。
あっけなく変わる。
良識は時代と共にそれほど変わらぬとも。
常識というのは時代と共に変わる。
そんな常識に囚われるほど。
アホらしいことはない。

つまりだ。
私は常識ってもんが嫌いなのである。
社会的通念と常識を盾に話されたりすると。
ゲンナリしてしまう。

自分が生きていようとなかろうと。
数百年先を見るくらいのスパンで。
常識でなく、良識と自分の思考で。
生きたいのだ。
まあ。
数百年先は生きてないんだけど…。
それでもよいのだ。

常識は真理ではないのだから…。

2009年1月14日水曜日

個人と影響と日本

私は元来。
環境とか気になってしまう社会派な人間であった。

スーパーでは。
袋は要りません。と言い。
デパートでは。
過剰な包装にむなしさを覚える。
そんなティーンエイジャーであった。

で。
20歳になったとき、
会社という社会に出た。
そこで私が見たものは膨大な紙。紙。紙。
その膨大な量をみたとき。
がっかりした。
消費の本当の姿を見たような気がし。
いままで自分が気にかけていたことがアホらしくなった。
あー。自分は知らなかっただけなのだ。
あー。一人でやってても全く意味ない。と。

で。
私は社会を見捨てた。
地球も見放した。
滅びるなら、滅びるがよい。
たかが数百年、それが早まるだけだから…。

しかーし。
結局、10年見放した後、私は元に戻った。

人間一人ができることは少ない。
けれど。
人間一人の影響というのは。
意外とデカかったりするのである。

以前、毎朝会社で。
リンゴをまるごとシャリシャリ食っていた。
最初はなんだが視線を感じたものの(お固い大手企業なのです)。
いつしかそれが周りにも普通な光景になった。
『なんとなくあり』になった。

そう。
社会は一人でも変えられるのだ。
ということで。
たまに。
日本も変えられるとおこがましくも思ってしまうわけです。ハイ。
まあ。リンゴごときで社会を変えたとなる。
発想自体、おこがましいですが…。

p.s. 今日の発見。『会社』『社会』『会社』。おかしい。
これって『どーろ』『ロード』以来の大発見。<--バカ

2009年1月12日月曜日

本日の醜態

物なんていつかはなくなると。
わかっているのに。
やってしまったー。
お気に入りニットキャップがなくなり。
ジタバタ。
しかも。
もー。盗まれたー。とか妄想も広がり。
(自分の宝は他人も宝のはずという狭き観点)
帽子ごときで落胆を公共の場でさらし。
あー。恥ずかしい。

執着は醜い。
しかし。
物を愛でながら使いつつも、執着しないというのは。
むずかしい。
愛してもホイッと未練なく何かを手放すなんて。
人間にできるのか?
それが物でも人でも。

ま。
大切な物は時と共に変わるし。
何事も。
人生80年分の○○という尺度で。
ドーンと構えたい。

p.s. その後、ニットキャップはあったー。さらに恥ずかしい。
が、やはり、うれしい。ま。いつかさよならする日は来るのだが…。

2009年1月9日金曜日

軍隊なガソリンスタンド

あーがとございましたー。
あーがとございましたー。
ウイーッス。
敬礼!ペコッ。

これは誰がうれしいのだろうかと思う。
私はもっと普通のありがとうが聞きたい…。

2009年1月4日日曜日

死に向かって健康

動物は健康だから。
コロリと死ぬという。
私の犬も明け方コロリと死んだ。

私は酒も好きでないから飲まないし。
想像に囚われているため肉はあまり食わない(参照: 正しき肉の買い方 )。
気持ちよいから朝早く起き、運動もし。
食は大事なので (参照: 食は人なり )
野菜は予算範囲内で、
安全で新鮮なものを選ぶ。

で、人に言わせると。
そんなんで何が楽しくて。
そんな長生きしてどうするの?
と嘲笑されるのだが。

ちがーう。
私は動物のように死にたいのだ。
動物のように翌朝太陽が昇るころに、
コロリと逝きたい。
生に向かって健康を目指すのではなく。
死に向かって健康を目指すのだ。
そう。
死に向かうための健康なのだ。

とは言っても、まあ。
計画通りには行かないのが人生ですが…。

2009年1月3日土曜日

物の経験

サラリーマンになる前、私にも。
4年で12回も引越し、
アウトローもどきな時期があった。
その時期は、
段ボール5,6箱とスーツケース一個の荷物で暮らし。
大きな移動の度に物を手放した。
食器は引越先にあるものをを使い。
自分の物なんて本と服しかなかった。

物欲は俗っぽいこと。
というのは通説だが…

どうでもよい他人が選んだスプーン。
選んでさえいないかもしれないスプーンにお皿。
そんなものでで食うのと。
自分で吟味したスプーンで食うのでは。
経験値が違う。

日常のものさえ、そぎ落とした生活は。
私には高尚な生活ではなかった。
私には堕落した生活であった…

あの世に持っていけるのは。
魂と経験だけだという。

それを踏まえた上でも。
私は買い物=低俗とは単純に言わない。
物から得られる経験というのはある。
そんなことからでも、
洗練されることもあるし。
洗練されたい。
ただ、買ったものを使わないことは悪であり。
使わなくなったら手放すのが。
自分とおうちの健康というものだ。

ま。うちにもキツくて着れない服とかあるけど…。
(痩せるか売れ!)

2009年1月1日木曜日

福袋

そろそろ。
福袋で日本が盛り上がる季節だが。
物の真価を見ずして、
問わずして。
何が入っているかわからぬデパートの福袋に。
行列する様は。
己の徳の低さをさらけ出す以外の、
なにものでもない。
と思ってしまう。

↑超エラそー…。

p.s. 後日、最近の福袋は中身がわかっているとの話を聞いた。
で、普段使わないものを試すよい機会だとか。
なるほど…。