私は、いわゆる運命論者であった。
18の時、進学で2者択一を迫られた。
受かったほうの学校でよいやと思っていたら。
両方受かっってしまった…。
で。どちらにしたいか決められない。
期限は迫る…。
いやまて。
どちらにせよ、1ヶ月後にはどっちかになっているわけで…。
それでは。と。
考えることを放棄した。寝続けた。
時が流れるのを待った。
だって。
どうせ。決まっているんだもん。
そう。何を決定するかは既に決まっているという。
極端な運命論者であったのだ。
しかし。
最近は、ちょっと違うのではないかと思う。
ここでこんな人に出会うとか。
ここでこんな出来事に遭遇するとかは決まっていても。
そこでどう決定するかはあくまで白紙なのだと。
つまり。
出来事は仕組まれていても。
決定は白紙なのだ。
ある古武術家が言っていたが。
『運命は全てが決まっているが。
裏返せばすべては白紙であると』
なるほど。そうだったのだ。
考える事を放棄したあの18の春。
決断を下さないため、結局。
一ヶ月経っても何も決定はされなかった。
で。
そのために大金が無駄になることになった…。
実は。ここで決まっていたことは。
『大きな迷いに遭遇し決断を迫られる』
ということだけで。
決定権は天になく私にあったということを。
私は知らなかったのですねぇ。
そういや。思い返せば迷っていた進路は。
英文科と画像技術科。
もー。こんな違う学科を受ける私も私だが。
どうやったらそんな違う進路を迷えるんじゃー。
全く…。
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