2011年12月4日日曜日

ドイツ人とのTOKYO観光 - 前編 -

ベルリンに住む友人から連絡があった。
近所の店の店員さんが。
休暇で東京に来るという。
初ニッポン。初トーキョー。
『誰か知らない?一日案内してくれるだけでいいんだけど』
というわけで。
私に白羽の矢が立った。

ウー。また来たか…。
実は。過去、2回ほど。
外国人を連れて東京観光したことがあるのだが。
どちらも成功していない。

どこどこに行きたい!
というものがあって。
そこに向かって連れて行くのは簡単だが。
問題は、それがないのである。

つまり。
その日のエンターテイメントが、
全て自分にかかってしまうのである。
しかも。
ちょっとした知り合い程度だったりするので、
趣味趣向がわからない。

前回、オーストラリア人を案内したときは。
都内をあちこち連れ回したが、
全く、興味を示さず…終了。
東京を去る当日に。
多摩川の土手へ散策に連れていったら。
なんと。
河原を歩いたり、石を拾ったり大はしゃぎ。
一番喜んだ…。

ああ。この人。
自然が好きだったのか…。ガクッ。
という結末で大失敗に終わった。

その教訓を生かし。
今回は事前に準備をしようと。
メールで趣味趣向を聞いてみた。
すると。

* フリーマーケットが好き
* 歴史的な建造物や街に興味はない
* テレビで見たクレージーな仮装をして座っている人をみたい
(原宿、代々木公園前と思われる)
* 港に行きたい
* ツーリストじゃ行けないような所に行きたい。

ということであった。
えっ。港!? 東京湾ですかー?

事前情報これだけ。はあ…。
もー。じゃあ。そんな面倒な事。
断ればいいじゃないか。
と思うかもしれませんが。
なぜ引き受けてしまうかと言うと…。

私も世界各地で同じように面倒を見てもらった。
自分だって好意を受けたのだから。
今度は自分がやらねばっ!という気負いと。
今度は与える側にまわらねばっ! という気持ちと。
(↑『与える』と思っている時点でおこがましい…。)
なんといっても、前回。
オーストラリア人の観光が大失敗に終わった、
あの負い目もある。
今回こそは楽しんでもらいたいという欲。

つまり。
一見、見も知らぬ人を案内し喜ばせようと。
人が良いように見えるが。
実は。その人を使い、
過去の数々の負い目を払拭したいという、
単なるエゴイズムなのである。

人の為は自分の為とはよく言うが、
ほんと。
それがわかりやすく出たかたちである。
あー。我ながら。
ひでーな。全く…。

ともかく。
どんな人であろうと。
絶対。一日、エンターテインさせよう!
『東京は楽しかった』と思わせてやるっ!
と。心に誓った。

                   * * * * * * *
最終メールが来た。
「じゃあ、朝9時にホテルで!」

えっ!? 朝9時からってことは…。
昼すぎに『じゃあね、バイバイ』って言うのも失礼だから、
せめて日が暮れるまでとなると…ざっと10時間。
えーーっ。
10時間のエンターテイメントメニュー。
しかも。見知らぬ人に対して…。
も〜。無理っ!

というわけで。
友人も誘い、途中から合流してもらうことに。
彼女の『朝9時から一日は長すぎでしょーっ!それは断るべし 』
との助言を受け。
結局。東京観光は昼からに変更した。

    * * * * 確固たる計画がないまま当日 * * * *

青山一丁目の宿の前。
いる…。誰かいる。

ホテルの前に白人のモサ〜イかんじの男。
というか、おっさん。
というか、身だしなみがテキトーすぎて、
ジジイに近い。
この人。ドイツ人ぽい。間違いない。

と。ここで異変がっ…。
なんと私のテンションが下がったのである。

脳ミソの反応が。
なんだよー! ジジイかよー!
というわけだ。

いや。誤解のないように言っておくが。
私は外人とお近づきになりたいとか微塵も思っていない。
過去数年間、外国にいたので。
欧米人が全員プラピのようでないことも知っているし。
ギャグがお互い通じないことも知っているし。
通じないネタも沢山ある。
自分の語学も、堪能ではない。
そして。私も年を取ったので、
心のどこかで。もー。外人は面倒くさい。と。
思ってしまっている。

それなのにーっ。
見た目でテンションが下がるとはーっ!バカ者がーっ!
今日は絶対、コイツを楽しませきゃいけないのにーっ!
も〜っ。

ま。とりあえず。握手して挨拶。
ガンバレー。私のテンション!

「どう?フリーマッケット行ってみた?」
「まだ行っていない」
「よしっ!明治公園のフリーマーケットに行こう!」

とりあえず。
この先1時間半くらいの予定は埋まった。
ふう。よかったー。
しかし。
フリーマーケットまでは歩くと20分。
電車だと一駅乗れるが…
一駅だけでも電車に乗るか?と聞くと乗ると言う。

ウーム…。でも。彼はベルリンに住んでいる人。
ベルリンでは皆、金を使わないで遊ぶ。
自称アーティストが世界中からやって来て、
たむろっている街。
皆。金を遣わない生活が身についている。
そして。ドイツ人は財布の紐が固い。
なーんかいやな予感がして、確認してみた。

「あ。でも東京では切符は一回しか使えないよ。
乗る度にお金払わないといけないよ(注1)
(注1 ベルリンではゾーン制なので、同じエリア内であれば乗り換えしても駅出ても同じ切符が使える)
「一回しか使えないの?」
「そう」
「じゃあ。歩く」

そーだよねー。
ここが東京観光で気を遣うところなのだ。
メトロや私鉄やJRと。移動には結構、金がかかるよ。
ということを分かってもらわないといけない。

「でも。あとで。君に電車の乗り方教えてもらわないとなー。
昨日、渋谷に行ったんだけど。歩いていったんだ」
「えっ。3駅分あるよ。帰りも?」
「そう。帰りも。もう足が死んじゃうくらい疲れた」

それくらいガイドブックに載ってるでしょーがーっ。
この人。まったく何も調べずに東京に来ている…。
調べる気もない…。
というか、一人で電車に乗ってみようともしていない。

やばい。この人…。丸投げコースだ。
ガイドブックも見ていない…。
行きたいところも『わからない』と言う…。

さーて。
一日エンターテイメントメニューを。
考えねばならなくなりましたー。
しかも。即興で。今、組み立てねばならぬ。
(↑結局、事前に用意していない…)

条件: 電車はあまり乗れない。
切符は一回しか使えないから…。

さあ。ドイツ人との。
東京観光が始まりましたー!
ガンバレー。私のテンション!

意外な質疑応答やら、
びっくりな行動やら。
次回はその一部始終を。

(次、ドイツ人とのTOKYO 観光 - 中編

2011年8月7日日曜日

迷走記 #6 (完)

**** 船に乗った〜! ****

人生。大海原に落っこち、
溺れる寸前だったものの。
なんとか。
通りがかりのゴムボートに飛び乗った。

そう。やっとのことで。
短期のデジカメテストのお仕事を掴んだのが前回。
(参照: 迷走記 #5: ゴムボートに乗ったー!

今回のお仕事は。
前回。3日でそそくさと退散した
スーパーの立ちんぼの仕事より、
(参照: 迷走記 #4
100倍楽で時給は倍近い。
世の中って。やっぱり。
基本、理不尽で。
テキトーなものなのかもしれない。

しかしこれ。
1週間の期間限定のお仕事なので。
また。次のボートなり、
船に飛び乗らなくてはならない。

で。日課のごとく。
派遣の仕事をチェックするのであるが…。
見ていると。
社員よりハードルが低いとはいえ、
派遣というのも、
なかなか要求が高かったりする。

* * * * 仕事内容 * * * *
製品の仕様検討、仕様作成(ミーティング参加)
海外出張あり。
CADを仕様して設計。
試作品の作成、量産立ち上げ、
部品メーカーへの部品調達。
部品検査、生産ライン構築、
生産ライン従事者への指導。
* * * * * * * * * * * * * *

はあ…。
当然、応募条件としては、
これらの経験が○年以上ある人。
となっているわけであるが…。
えーっ。これ。派遣ですか〜?
といった調子。
じゃあ。社員は何処にいるの〜?

まあ。確かに。
社員というのは、色々と権利などもあり。
簡単には辞めさせることができないので(注1)。
会社とって、社員を取るということは。
ギャンブルである。
(*注1: 大手になればなるほど組合などがあり、この傾向は顕著になる)

そういえば。
10年以上前に働いた某大企業では。
『島流し部署』なるものも存在し。
問題ある人はそこに流し、遊ばせる。
という会社もあった。

ま。そんなこんなで。
日本は。派遣大国なわけであるが。
派遣の応募条件を見ても。
条件に当てはまるものが自分に何もなく。
ウーム…。と。
途方にくれていた。

しかーし。
ツキというものは不思議なもんで。
来ない時は来ないのであるが。
来る時は来るのである。

ひたすら落ちまくっていたのに。
派遣会社から数件、
仕事の話が舞い込んで来るようになった。

おお。やっぱり。
あのゴムボートに飛び乗った時。
何かが近くまで来ているという勘は。
間違いではなかったのだ。
(参照: 迷走記 #5 ゴムボートに乗ったー!

ああ。もしや。ここは…。
来たぞー!キターッ!

そう。たくさんの船が往来する海域に。
やってきたのだー。
嵐は去ったのだー。
やったー!やったー!

そして。遂に。
一つの船に飛び乗った。
乗ったー!
アハハー。乗ったぞ〜!

しかし。その船。実は。
2年前に。
私が突き落とされた船であった…。

なんと。そこは。
2年前にリーマンショックの影響で。
私がクビになったところ。

なんと。
同じ上司。同じ仕事。同じ同僚のもと。
2年前と同じデスクに座ることとなった。
そして。再び。
ドイツの皆とやり取りすることになるのだ。

コンピュータの向こう側には。
『さようなら』したはずのドイチランド。
『さようなら』したはずのリューベック。
そして。
あのドイツの皆がいるのだ。

ウ〜ム。
一体。誰がこの結末を想像できただろうか?


* * * * 勤務初日 * * * *

2年という月日…。
失業ブルース #1 - 9
ドイツへ引越し #1 - 7
ドイツで鍛える生活 #1- 60

もー。盛り沢山すぎて10年分くらいに感じる…。
海をまたいだりして、
引越しも4回した。

会社のIDカードをもらい。
首にかけた。
デスクに座った。
この席。おなじみである…。
右を見ても、左を見てもおなじみの顔。
後ろを見ても同じ人。
2年前となに一つ変わらぬ日常がここにある…。

はあ…。
私のこの2年は一体。なんだったのか〜!
神様のきまぐれ修行プレイか!?

ともかく。
なんだかよくわからんが。
暗黒時代が終わった。
架空出勤よ。さようなら (参照: 迷走記 #5)
リアル出勤よ。ありがとう。

明けない夜はない。
止まない雨もない。

そして。
永遠に続く晴天もない…。

ガーン…。
ま。行けるところまでこの船でいきますか。


p.s. さーて。仕事が見つかったので。次は家探しだー! 
ガンバルぞー!オーッ!


2011年7月26日火曜日

迷走記 #5

* * * * ゴムボートに乗った〜! * * * *

諸悪の根源は夢や希望だー!
そんなもんが人を不幸にする。
じゃあ。
夢や希望は捨てようじゃないか。

と。やけっぱちで応募し、
働くことになってしまった
巨大スーパーの入り口での立ちんぼの仕事。
参照: 迷走記 #4
アメリカ人ボスに。日本語で。
『アナタ、笑顔、足りない!
アナタの顔、オソウシキデス〜!』と。
言われ続けるもと。
5秒に一回『いらっしゃいませ』を叫ぶ × 8時間
 × ン年の人生は辛すぎる。
と。そそくさと退散し、
またプーになったわけだが…ここで問題が。

私は今。実家に居候している。
21歳の時には。もう。
さっさと家を出たので、
16年ぶりの同居である。

しかーし。
21歳で自立したはずの娘が。
いい年こいて家にいて、
プラス、無職ときた。
親としては。イライラっとしていたが。
やっと働きに出てくれた。よかったー。
と思った矢先であった。
というわけで…。
バイトとはいえ、
3日で辞めたとは言えなくなってしまった…。

そう。世のリストラされたお父さんが。
背広を着て、勇ましく。
『いってきまーす!』と家を出て。
公園に向かうように。
私も同じ状況に陥ってしまった…。
なんと。架空出勤である。
まさか。
自分にこんなことが起こるとは…。

まあ。バイトでシフト。
ということになっているので。
普段着で、気が向いた時に。
9時間くらい家を空ければよいわけで。
背広を着たお父さんよりかは恵まれているが…。
(どういうレベルの話だっ)

それを聞きつけた友達なんかは。
有給取るから!つきあうよ!
とか言ってくれたりして。
ほんと。持つべきものは友達かもしれない。

で。連日。34℃の猛暑。
外にいられないので、
カフェとかに行ったりするわけだが。
やはり。都会でブラブラするには。
毎日。それなりに金を遣う。

暑い。死ぬーっ!→カフェへ
腹減ったなあ→ランチ
ふらっとビックカメラ→分割でmacを買ったり
店をウロウロ→ 本とか服を購入したり。
暑い。死ぬー!→区民プールへ行ったり
(プール道具をバイクに積んでいる)
疲れた〜→再びカフェへ。とか。

毎回。架空出勤がこんな調子である。
来月こそはこんな生活じゃないはず。と。
買い物は、いつも。来月を当てにし。
すべてカードで2回払い。
しかし。
どんどん減っていく銀行残高を見る度。
これはいよいよ。まずいなー。
というかんじなのだが…問題は。
なんだか。
生活レベルが落とせないのだ。

そういや。
小室哲哉が詐欺で逮捕された時。
生活レベルを落とせなかった…。
と。言ってたっけ。
規模は違いすぎるけれど。
なんだかわかるような気がした。

とりあえず。カフェにいる時は、
mac を持ち込み、職探し。
毎日、3時間くらいは職チェック。
で。まあ。私の職種と、
年齢と経験値のバランスなどの事情により。
どうしても派遣になってしまうのであるが。
週に5, 6件のハイペースで応募し。
で。その間に。
派遣会社数社に登録に行ったりしていた。

そんなところへ。ニュース。
                * * * * *
牛丼店で強盗。容疑者は。
妻には。夜中、働いていると嘘をつき、
奪った金は『はい。給料』といって、
妻に渡していた。と供述している。
               * * * * *

泣ける話である。
が…。ちょっとこれ。
人ごとじゃないかもーっ!

日が経つにつれ。
最初はなんとかなっていた架空出勤も。
数週間経つ頃には。朝が来る度。
「朝が来てしまった…。さて。今日はどうすっかなあ…」と。
もう。さすがに限界に。
どうにかせねば〜。と思うものの。
仕事は。掴みそうになる度。
あと一歩でスルリと手から抜けていった。

明けない夜はない。
止まない雨もない。

物事には。どんな事柄でも。
終わりは必ず。あるっ!
ゴールはどこかにある…。

一日中、外をフラついて。
金もあちこちにバラ撒き。
死ぬほど汗をかいて家にもどると。
居間のテレビがついていた。

                * * * * *
こちら、東京にある○○植物園です。
このような珍しい植物もあるんですねー。
こちら、入場は無料となっておりまーす!
                * * * * *

「ここどこ?」と私。
「小平市だって」と。マユゲ母。
「フーン」と。私。
(ウーム。ここ。明日の出勤場所にいいかも…。植物好きだし〜)

まさか。
同じテレビを見ている娘が横で。
『おー。ここは明日の架空出勤場所にっ!』
なーんて。こっそり思っているとは。
マユゲ母は、夢にも思ってなかろう。
かわいそうにねえ。
数ヶ月前は。
『娘はドイツで働いているんですぅ〜』
って周りに言ってただろうけど。
ホントは、今。君の娘は無職なんです…。

ま。知らぬが仏とはこのことか。

                * * * * * *
居間を出ようとしたその時。
マユゲ母が言った。
『ちょっとーっ。アンタ、家にお金。
働いているんだから。○万円入れてよね」

「ああ。あとで渡すよ」と言って、
2階の自分の部屋へ向かった。

お金ねぇ…。
階段をのぼりながら
牛丼屋へ強盗に走ってしまった人の事を。
ちょっとだけ想った。

自分の部屋へ入ると携帯が鳴った。
「あ。○○会社です。本日は登録ありがとうございました」
(おっ。派遣会社だ)
「早速ですが、来週から1週間の短期のお仕事がありまして。
お願いできないかとー。デジカメのテストのお仕事なんですけど…」

キター!
仕事がキターッ!
これは毎日、街をふらつき、お茶して。
セールでお買い物して、macまで買い。
無職なのに、一生懸命、
日本経済をまわしたご褒美だー!
昨日。ブ○っクス・ブ○ザーズで面接用のシャツを買ったからな。
あれがよかったのかな。
もう一枚買えば、もう1週間仕事あるのかしら〜?
それとも。もっと高いもの買えば。
一ヶ月の仕事が来るのか〜?

大海原に落っこち。
(自分で入っちゃったんだけど…)
行き着く先もなく。方向も見失い。
溺れそうだったが。
通りかかったゴムボートになんとか。
手がひっかかった。
助かった〜。

そして。なんとなく。
大きい船がどこか近くまで。
来ている気配があった。
なにかが近い…。

ま。ともかく。
仕事や金に困った時は。
金を遣えということだ(ホントか?)。
世の中は循環。循環。
世の中は。
まわせ。まわせ。

では。とりあえず。
ゴムボートに乗り。
とあるメーカーのデジカメテストをして参ります。

2011年7月14日木曜日

迷走記 #4

**** やけっぱち、実践す ****

さて。
やけっぱち期が到来し(参照: 迷走記 #3)

だいたい。
自分の可能性とか。
信じるからいけないのだ。
私は。自分には何もないと思い、
私は。そんな自分で満足したい!
人間。多くを望まなければ。
幸せなのだー。

というわけで…。
とある単純&肉体労働系に応募した。
面接官に。
「ハッ !? ソフトウェア開発という業界からなぜにうちへ?」
という不信感を大いに持たれつつも、
ま。とりあえず、人足りないから。
アルバイトスタートで…。
みたいなかんじで。
あっさりと受かった仕事。

それは。
とある外資の巨大スーパー。
レジ係、商品の陳列係、お掃除係、
お肉をずっと切っている人。
お魚をずっと切っている人。など。
まあ。色々な仕事があるわけだが。
店の入り口担当になってしまった。
『いらっしゃいませ』系…。

ウーン。笑顔を振りまく接客か。
かなり向いていないと思われるので。
裏でお肉を切ったり、
手を動かかしている方がまだよいのだが。
なーんか。いやな予感…。

遡ること、16歳の夏。
ファミレスのウエイトレスとして働いた。
『デ○ーズへようこそ!』という、
決まり文句があったのだが。
そんな恥ずかしいこと事言えるかよー。と思って。
言わないまま働き通した15の夜。
じゃなかった。16の夏。
そんな人が20年後にまたマニュアル接客。
果たして、できるのか?!

初日はオリエンテーション。
バイトとはいえ、
20枚くらい、契約書に色々サイン。外国っぽい。
それから。
ドラマ仕立てな教育ビデオを数本、
4時間くらい見るのであるが…。
これが。アメリカ企業だけあって、
ドラマがやっぱり海外ドラマ風。
なんかこう、映像のの雰囲気が。
『ビバリーヒルズ高校白書』とか『フレンズ』
の中に出てくる、そのものなのだ。
いやはや。アメリカ。

そして。
従業員の控え室に行くと。
白人、黒人、ヒスパニック、アジア系にインド系と。
肌の色も、まあ様々。
従業員、超多国籍。
で。皆、日本語ペラペラ。
かつての日本にこんな光景があっただろうか?
ま。国際的になるのはいいことだ。
民族は単一だと。
不健康な社会になりやすいのだ。
多国籍。歓迎!

仕事着は襟付き指定があるので、
ポロシャツを用意することに。
それなりに値は張るが、
気に入ったものを買った。
フフ。来月給料入るしね。と。
カードでガツっと購入。
テキトーな服で一日中働いたら。
なんか。
哀しい気分になるんじゃないかと思い。
気張ってみた。

* * * * そして。勤務開始 * * * *

さて。仕事であるが。
何をするかというと。
入り口でひたすら。
『いらっしゃいませー!○○を拝見しまーす』(注1)と叫ぶ。
注1:とあるものがないと入店できない)
もしくは。
『クーポンをどうぞー!』とクーポンを配る。

それをひたすら、
5秒に一回叫ぶこと5時間。
それだけ…。
すみませーん。
これ。機械じゃダメなんですかー?

叫ぶのでのどがカラカラになるのだが。
客の前で水を飲むのは禁止されている。
よって。
水を飲めるのは指定された休憩時間のみ。
休憩は5時間勤務の時は一回だけ。15分。
それが水を飲める唯一のチャンスである。

入り口なので野外みたいなもの。
夏。5秒から10秒に一回叫ぶ。× 5時間。
水飲みてー。
もー。拷問…。

すると。
現場監督のアメリカ人のおっさんが。
ツカツカーって、歩み寄ってくる。
(日本語ペラペラ)

アナタ、笑顔が足りない!
声が出てない!
顔が暗いデスー!

アナタ、お葬式ですよー。オソウシキーッ!
スマイルー、声!!
そして。
アメリカ人ボスは去っていった。

ボスの方を見ると。
ボスは『キーッ!』と。こちらを見ている。
ああ…。

いっそう声を張り上げる私。
声が低いのもあって、
声は雑踏に消えてしまう…。
そして。凡人には。
『叫ぶ』と『笑顔』は共存しない。

すると。またそのアメリカ人ボスが。
大股歩きで、ツカツカーって。
お尻をプリプリ振りながら私のところに来る。

「ココノポジション。一番タイセツなのナンデスカー!」
1に笑顔! 2にスマイル! 声!
アナタソレナイ!

『…… 』
果たして。アメリカ人に、
『1に笑顔!2にウンチャラ〜…』
って日本語で怒られた日本人が
この日本にどれだけいるだろうか?

はあ…。
私はアメリカをナメていた。
だって。
この間まで住んでたドイツでは。
スーパーの店員なんか。
座ったままレジやっているし。
『いらっしゃいませ』もない。
客の前でクイクイッと。
ペットボトルのジュースだって飲む。
ブスーっとして業務をこなし。
列をなしている次の客は。
『ハイ、次ーっ!』とコワーイ感じで呼ばれる。
客と口論だってする。

昔。ベルリンで。
50ユーロ札で数ユーロの買い物をしようとした客に対して。
「おつりなんかないわよーっ!」
ってレジの人が怒って、
客と喧嘩になっているのを見たことがある。

しかし。サービス業の国。
アメリカは違うらしい。
そういや。オーストラリアのスーパーでも。
店員はいつだってスマイルであった。

ま。ともかく。
この入り口のポジションは担当が何人かいて、
日本人じゃない人も数名いるわけだが。
長い人だと4年もそのポジションをずっとやっている。
しかも、フルタイム社員。
入り口担当で4年。
皆。色々な事情があるのだろうが。
叫び続けること、
5秒から10秒に1回 ×8時間 ×4年は。
忍耐という面で、本当に頭が下がる。

しかーし。ごめーん…。
私にはその忍耐はない。
それを飲み込む、諸事情もない。

今。これを選んだら。
これをやる人生になる。
でも。これを選ばない人生もあるはずだ。
私は…。ごめーん。ヘタレです。
抜け出したい!

* * * * 翌日 、再び勤務 * * * *
日曜日。客足がすごい。
相変わらず、私は。
アメリカ人上司にウケは悪く。
「ココのポジションは店の顔でデス!
暗い!スマイルー!声ー!ソレはオソウシキーッ!」と。
言われ続け、
魔の『5秒に一回叫ぶ × 5時間』は終わった。

シフトを見た。
まだ。来週のシフトを組まれてなかった。
今だ!シフトを組まれたら辞められない!

3日間、お世話になった人、
数人に頭を下げまくった。
辞めた…。

結局。私には。
『自分にはなにもない』と思う能力も。
『多くを望まず満足する』という能力もなかった。
青春ノイローゼは治せなかった。
参照: 迷走記 #3

しかーし。
これがきっかけで。
私の尻に火が付いたのだ。
前職と同じ職業にもどったるーっ!

さて。次回。
私の快進撃はスタートするのでしょうか?

そして。
やけっぱち期の代償として。
お値段の張るボロシャツのカード請求が。
来月。来るのでしたー。はあ…。

p.s. こうやって。
また、履歴書に載らない履歴が増えるわけです。
(参照: 履歴書に載らない履歴

2011年7月8日金曜日

迷走記 #3

**** やけっぱち期到来 ****

前回のお店ブームで(参照: 迷走記 #2)。
頭おかしい真っ盛りに、
色々な所に送りつけた履歴書が。
ポロン、ポロン。と。
毎週のように戻ってきた。

これ。返ってくると。
なんだか。
ものすごーく。恥ずかしい。
あちゃーっ。
そういえば。
こんな所、送ったよねー。
と思ったり。
あー。まあ。そりゃそうだよな。
とか思ったり。
もう毎日が、アチャチャチャ〜っ。
というかんじ。
で。さすがに、考えた。

だいたい、いい年こいて。
やりたい事とか、好きな事とか。夢とか。
アホじゃなかろうか。
ムムっ。
これは、青春ノイローゼ(注1)だ。
そうだ。諸悪の根源は。
夢とか希望とか、理想じゃなかろうか?
(注1)みうらじゅんが提唱したビョーキの名。否定的な意味で、
いい年こいてまだ『青春』を卒業できていない大人のこと。

もっと違う可能性とか。
今までと違う人生とか。
自分にはもっと出来る何かがある。
と思っているビョーキ。

しかしそれは。
私たちが、20代のころ。
実は。誰もが持っていた、
『青春』という、ある種のノイローゼ。

が。それは年と共に薄れ。
30代ともなれば。
ノイローゼを実現できた人は。
いわゆる『成功者』であるが。
ノイローゼを実現できなかった人は。
等身大の自分を受け入れることになる。
で、ここで受け入れることができた人も。
ある種の成功である。
しかし。私は。おそらく。
この辺りの移行を失敗している。

そうだ!
諸悪の根源は。これだ!
自分に何かがあると思っていること。
夢とか希望とか理想が。
人を不幸にしているのでは?

                           * * * * *
テレビをつけると。
『あなたに夢はありますか?』
というテーマをやっていた。
コメンテーターは中村うさぎ。
彼女は言った。

「だいたいねえ、
夢とか言ってるんじゃねーよ。
夢なんて捨てちまえ!
人にはねえ。
追いかけてよい夢と、
追いかけちゃいけない夢があるんだよ!」

ハハーッ!
うさぎさま〜。すみませんっ!

                          * * * * *

自分には出来る何かがある。という幻想。
自分にはもっと可能性がある。という理想。
自分にはやりたい事がある。という妄想。

よしっ!私はそれを捨てる。
私にはなにもない!

とある外資の体力&単純労働系に応募した。
そして。
面接した当日。合格の連絡。
ちょっと不安になって、
○○社、仕事。とかネットで調べてみてみると…。

あんなところで働く奴らは、クズだ。
どこにも行くところないから、
あそこで働いてんだろ。とか…。

ヒョ〜っ。もう。すんごい言われよう…。
しかし。クズ。
これぞ私が望んでいるものではなかろうか?
わたしは自分をクズと思い。
クズで満足したい!

私は貝になりたい!
いやちがった。
クズになりたい!
(↑こう言ってる時点でクズと思っていないわけで…おこがましい。)

そして。勤務日は来た。
やっぱり、人間。
クズになるのも。
無欲になるのも大変で。
煩悩には。
なかなか難しかったのである…。

次回はそのびっくり勤務を。

2011年6月28日火曜日

迷走記 #2

**** お店ブーム ****

さて。前回から。
だいぶ間が空いてしまったが。
仕事なんて好きな事しようぜーと。
悪魔にささやかれ、
迷走がスタートしたのが前回。

はて。好きな事。
好きな事っていってもねえ。
何をするか…。

大体。何をしようか。
とか言っている時点で。
大して『好きな事なんてない』
ということなので。
そういう人は本来。
前職と同じものを選び
『キャリアの継続』という、
世の鉄則に従えばよい。
ま。これは。
考えればごもっともな話で、理にかなっている。

しかーし。
人間。ちょっとした事でネジが1本緩むと。
ガタガタガタッ!って崩れ。
そういう当たり前の考えさえも。
スコンッ!と。抜けてしまう。

で。私も。ひょんな事から。
ネジが外れてしまった。

そうだ。どうせ働くなら。
好きなものに囲まれて働こう!
というわけで、
第一次迷走期。
お店ブーム到来…。

販売業。やったことないのに。
こだわり物のセレクトショップなんかで。
店員になろうかと思ってしまった…。
で。目ぼしい店に行っては。
ウーン。店員が皆20代かあ…。
年齢オーバーで落ちるから辞めよう。
とかいった偵察を。
3週間くらいやっていた(アホか!)。

次。職人ブーム。
やっぱり。
なんか物を作る人になりたい。
漆職人とか?靴職人とかパン職人とか?
37歳で弟子入りはあり得んでしょー。
って思ってはいるが。
なんせネジが外れている。
『○○、職人』とか検索すると。
村上龍の『13歳のハローワーク』が現れた。 
ここで一瞬、我に返ったが、
またネジがボトっと落ちた…。

ま。手近に偵察できるところから。
というわけで。
パン職人が選ばれたのであるが。
あちこちのパン屋を偵察しては。
製造スタッフ募集を探すこと。
再び。1ヶ月くらい。

こじんまりしたパン屋に。
未経験も可というのを発見。
店にある応募用紙を貰ったらなんと。
『うちの店は完全菜食主義です。
スタッフにもそれを求めます。
応募前には以下の本を最低2冊、
読んでから来てください』と但し書き。
『小宇宙と人体と云々〜』
みたいなノリの本がズラリ。
ヒョ〜っ。なんだかねぇ…。

まあ。そのへんの趣向には目をつぶって。
突入の機会を伺っていたら。
なんと店長急死。
店存続の危機なので当然スタッフ募集も終わる。
(店は後に閉店した)
そして。私も。
あれ?一体なにやってたんだろ?
と。我に返ったのだけれど…。
ホリエモンの収監決定!との記事を見て。
そっかー。
同世代のホリエモンも修行時代に入るのねえ。
私も収監されるつもりでパン屋で修行するか。と。
わけのわからん発想に…。

しかーし。
『パン。別に仕事じゃなくて
自分で作ればいいじゃん。家で作りなよ』
という友達の一言で。
まあ。そっか。と。
パン屋ブーム、あっけなく終焉する。

次。編集ブーム。
気になる雑誌の編集者採用情報を見ては。
未経験可を探す。

次。花屋、園芸店ブーム。
また気になる店に行っては。
偵察に行、き張り紙を見るという生活。
このブーム。
また1ヶ月くらい。

そのあとまた。
家具屋ブームとか、
カフェブームとかもあった。

編集ブームと園芸店ブームとカフェブームでは。
はた迷惑なことに。
数件応募してしまった。
ま。当然。落ちたのだが…。
送りつけた担当者の皆様。
すいませんでしたー!

いやー。今思うと。
なんでこんな事していたのだろう。
と。思うことばかり。
人間って狂っている時は。
本当に自覚がないです。

今。この瞬間も。
後々。考えてみると。
はずかしーっ!
っていう事をしているのだろう。
そう思うと。
あー。ホント。気が狂います…。

若いころや過去を思い出すと。
いつだって、全てが小恥ずかしいのも。
まあ。同じような事で。
一種の狂いなのか…。

このあと。
さらに迷走します。

次回。やけっぱち期。到来す。


2011年6月2日木曜日

迷走記 #1

**** 迷走スタート ****

やっぱ。
履歴書は写真でしょー。
この人に会いたいか、会いたくないか。
文字より写真。
やっぱり人間。
なんやかんや言って。
きっかけを掴むには見た目が左右する。

手鏡に向かってニコっ。
目が笑っとらんっ!
ニカーっと笑って、顔筋をほぐす。
そして。再び。ニコッ。
ま。こんな感じか。
三脚を立て、レフ板を自分で持ち、
セルフタイマーをセット。

昔。某男性ファッション誌の。
カメラマンアシスタントを1年ほどしていたので、
写真の撮り方はある程度知っている。
ってまあ。
顔の作りは変えられんので。
写真にも限界はあるのだが…。

ともかく。この一枚が。
面接まで行けるかどうかの鍵になるー!
という妄想にかられているわけだ。

タイマーが点滅する。
チカ。チカチカチカー。
来るぞ〜。カシャッ。
ンー。履歴書にしては笑い過ぎ。
もう一回。
ニコッ。カシャッ。と。
すること、なんとまる1日。
ま。こんなもんだろう。
というものが出来た。

              *  *  *  *  * 

そう。無職になったのだ。
ま。節目の度に一旦、無職になるので。
とびきり特別な事ではないし。
まあ。なんといいますか。
一時の無職はそれなりに貴重である。

つまり。
会社勤めを一旦始めた者にとって。
1ヶ月以上の休みどころか、
10日以上の連続した休みだって。
会社を辞めないかぎり、
60歳になるまでお預けなのである。
考えてみればなんともおそろしい話だ。

遡ること数ヶ月前。
ドイツの現地企業で働いていた。
しかし。
人っ子ひとり知らないドイツの田舎街で。
ずっと生きて行く覚悟もなく。
やっぱり。日本に住みたいなー。
そうだ。日本で職を得よう!と思った。

ドイツを撤退すべく、
日本に向けて就職活動。
現職と遠からず的なものと。
まあ。英語を使うという事以外、
現職とは全く関係ないものをネットで3件応募。
まあ。多少なりとも経験を生かして。
っていうやつである。

結果は全滅…。

ま。平社員ごときで。
いくら飛行機代を自分で払うつもりでも。
ドイツにいる人に面接に来て下さいとは言いにくいよな。
そうだよな。
距離があるからな。距離が…。
いや。キョリ。というか自分に問題があるのでは?
とも頭をよぎったが。
まあ、8割方くらいはキョリのせいにした。
というわけで、
ドイツの会社を辞めて日本に戻った。
そんで。無職になった。

そしたら大地震が来た。
人が生きるか死ぬか。
明日は電車は普通に動くのか動かんのか。
という時に。
『御社の求人を見たんですけど〜』
なんていう発言をすると。
マヌケに聞こえるので。
とりあえず、日常が戻った時のために。
履歴書の準備を始めたというわけだ。

生きるか。死ぬか。
水が危ない!買い占めろ〜!
余震だ。放射能だ。
エイッ。ヘリから一号炉に海水投下!
炉よ。冷えてくれー。
と。皆が祈っている時。
そう。私は。1人、部屋で手鏡片手に。
セルフタイマーを押しては。
ニコ〜っと笑ってカシャ。
と、やっていたのだ。
さすがに我ながら、この非常時に。
このマヌケすぎる光景は如何かと思ったが…。
ま。でも。世の中は。
いつだって両極の世界が存在する。
そういうものだ。

写真が撮り終わって翌日。
さーて。画像修正。
まー。便利な世の中だこと。
ちょっと絵画チックなモノクロ写真が出来上がった。

ま。履歴書の写真って、
好き嫌い、デザインが云々。
っていう話ではないけれど。
やっぱり。
自分が納得できないと人に渡せない。

この写真。
常識的には邪道かもしれないけど。
でも。世の中はいつだって。
正解は一つ以上ある。
そういうもんだ。

ま。そんなふうに。
一生懸命写真を作り込んでいるのも。
実は狙ってる会社があった。
社風が欧米並みに自由。
ゲームやソーシャルアプリなんかを作るIT系の会社。
職種は前職と全く関係がないわけでもないかんじで。
多少ながらアピールできる事もありそうな、ないような…。

履歴書は指定のエントリーシートを使う。
当社の製品で一番よいと思うものとか、
その理由を述べよ。とか。改善点を述べよとか。
まー。なんせ質問事項が沢山ある。
その質問に試行錯誤して書き上げること5日。
1週間がかりでエントリーシートが出来た。

『一番よいと思う製品』もなんとか書いたが…

                        * * * * * *

「なーんかさあ。製品。全然興味ないんだよねー」
「じゃあ。応募しなければいいじゃん。
だいたいマユゲはいつもそうなんだよー」
行きたくないっていいながら行くの。
ドイツだってそうだったじゃん」

そういえば。そうだったかも…。
「でも。服装が自由なの〜」
「服装が自由なところ他もあるよー」
「ない。日本。あんまない…」
という会話をあちらこちらですること1週間。

結局。1週間かけて書いた履歴書は。
出さなかった。
そう。ここから私の迷走は始まった。

生活のために金を稼ぐという目的以上に、
好き嫌いを持ち出した。
そして。
なんだか、幼稚な方向へと舵が大きく切られた。
そう。『家族を養う』という立場にない私には。
責任というブレーキ部品も欠如している。

そんなところへ。
好きなことしようぜー。ベイビー。と。
悪魔がささやき始めたのであった…。

2011年5月28日土曜日

迷走記 - 前書き -


さて。
『ドイツで鍛える生活』も終わり、東京。
さて。仕事でも探さないとなあ。
といったところなわけであるが。
人生完全に白紙。

というのも。
私は過去5年半、画像処理ソフトウェアのテスト。
という仕事をやってきたのであるが、
なんか。もー。人生。
もっと興味持てる事やりたいかも…。
というわけで。
それから足を洗おうとしているのである。

つまり。37歳未経験で職探し。
好きな事なんて仕事にならない。
趣味と仕事はちがう。
美輪明宏は給料は我慢料であると説いた。
そんなこたーわかっておる。
でも〜。

みうらじゅんは。
自分なんてなくせと説いた。
自分さがしの旅でなく。
自分なくしの旅が正しいと。
それもたぶんわかっておる。
でも〜。

自分なんてなくせない。
そんな我欲満載の。
悟りからはほど遠い者がつぶやく。
『なーんか、先に繋がる好きなことしたいんだよねー』という、
『フーン』としか答えようのない状態。
私はそんな所に陥ってしまったようだ。

迷える子羊の旅。
と言えば聞こえはよいが
いかんせん考えてみればいい年のオバハンなわけで。
そんな仕事、あるわけないだろっ!という。
突っ込み所満載のバカコメディーになる予感。

神のみぞ知る私の行く末。
いや。神だって知らない私の行く末。
明日、仕事が決まるかもしれないし。
数年後は頭が狂ったまま
『好きなこと〜』と言って、
精神病院を徘徊しているかもしれない。

私は一体どこへ行く。
そんな私の迷走記。

仕事は辞めたいけど、
いろいろ足かせがあってやめられない。
仕事は辞めたいけど、
いきなり無職はダメでしょ。と。
自分を戒め続けて早数年、ン十年の皆さんも。
これは他人の人生。
一傍観者として、お楽しみあれ。

脱力感あふれる『迷走記』
スタート〜。

2011年5月19日木曜日

ドイツで鍛える生活 #60

**** さようならドイチランド ****

さて。いよいよ。
ドイツ撤退の日。
行方不明になっていた、
ドイツの口座から日本の口座へ移動した全財産は。
(参照: ドイツで鍛える生活 #59)
ちゃんと日本の口座に反映されていた。
ふう。送金に4日間ですかあ…。
何でも時間かかるなあ。ほんと。
(まあ。タイミングなども悪かったのかも)

さて。例の暖房代問題。
参照: ドイツで鍛える生活 #58 )
光熱費の検針が1年に一度なので。
次の暖房代の精算が7ヶ月後。
というわけで、
銀行口座を開きっぱなしにして、
引き落とされる予想額を
残しておかなければならないというやつ。
ウーム…。

ドイツでは、暖房代は家賃に上乗せされているのだが。
それは単なる前年度を元に計算された予想額にすぎない。
まあ。言ってみれば。
日本でいう税金の年度末調整、
みたいなシステムと同じである。

同僚のルーマニア人は。
夫婦ですんごい暖房使ったから。
超過料金は400ユーロだった。と言った。
別の人はあんまり使わなかったから100ユーロ返ってきた。と。
家の管理会社の人に予想される額を聞いてみたが。
返事がなかった…。

ふむ。やっぱりねえ。
そう簡単にこっちの人は仕事してくれないよねえ。
と思っていたが。
ふと。退職した会社のメールボックスを見てみた。
あれ?! まだ会社のメールが見れる。

あーーっ!返事来ている。
もうこっちにメールするな。って言ったのにーっ!
もー。ドイツって、
物事がほんと伝わらないのよねー。
初歩的、事務的処理ができないというか、
なんというか…。なんで?

で。そのメールを開けてみると…。
   
                          * * * * * * * * * 
あなたは沢山、暖房を使ったようです。
私の計算によると。
敷金を差し引いても超過料金445ユーロです。
よって、敷金は返せません。
445ユーロを今、払ってくれれば、
それで精算を終えてもよいです。
                         * * * * * * ** * * *

ハ!?  超過が、敷金プラス445ユーロ?
敷金いくらだったけ?
忘れたが敷金、400ユーロくらいだったっけか?
えーーっ。となると。
暖房代の超過料金が10万円?え。1年で?
そして、添付されている計算書を見る
(写真、計算書の一部、クリックで拡大されます↓)















なんかわけがわからん…。
というか。
もう数時間後にはドイツを撤退するので見ていられん。
しかーし。日本に行ってしまったら。
もうオンラインバンキングもできない(注)
慌てて、指定された額をオンラインで支払う。
ウーム…。
(注: ドイツの私の銀行では、オンラインバンキング時に使用する暗証番号はその都度、携帯にSMSで送られてくる。つまり、暗唱番号が毎回異なる。よって、ドイツの携帯を持っていて、SMSが送られる圏内のヨーロッパにいないとオンラインで振込みなどできないシステム)

ハイ。次。
まだいろいろな書類が来るであろうから、
ポストにメモを貼る。
『マユゲ宛のものもxxさんのところに入れてください』





と、書いたつもりだったのだが…。
最後に動詞を書くの忘れた…。
まあ。意味はわかるだろう。
撤退準備完了。

そして。
鍵を次の住人に全て渡し、
ドアを閉めた。
さようなら、私の家。
空港行きの長距離バスに乗った。
さようなら、リューベック。
飛行機がとんだ。
さようなら、ドイチランド。

ウーム。
もっと住んだら、きっと。
もっといいところが沢山、見えたのだろう。
10年ドイツに住んだ人は。
この『ドイツで鍛える生活』を読んで。
違うっ。って思うこともあるだろう。
私の見聞記は、
ただの偏見記だったかもしれない。

     * * * * *
子供のころから。
バカの一つ覚えとして。
憧れ続けた、外国。
憧れ続けた、欧米。
憧れ続けた、外国で自立する生活。

日本じゃない国で。
そこの土地の人々と同じように働き。
同じように給料をもらって。
その土地の平均的な生活をしてみたかった。

日本人のいないところで。
サラリーマンになった。
憧れは。たぶん、現実になった。

ただ。
隣の芝生は青く見えたけれど、
自分の芝生だって本当は青かった。
ということだ。

経験とは。おそらく。
自分の今までの価値観を崩すためにある。
『思ったのとちがった』
というのは、一歩、進んだ。
ということだ。
そういうことだ(←強引にもっていきます)

   ****そして。撤退2ヶ月後 ****

多摩川の川べりを歩くと。
毎日歩いた、リューベックの川のあぜ道が。
フラッシュバックする。
本当に遠くまで来てしまった。と。
思いながらトボトボ歩いたあのあぜ道。

あの光景はつい最近の日常だったのだが。
長い夢だったような不思議な感覚。
いつも多摩川を歩く度、
あの世界に引き戻されるが。
多摩川。という引き金がなければ、
本当に記憶から埋葬されてしまいそうな
そんな、あやふやな記憶の中だけの世界。
あの世界は一体、何だったのだろう?

あ。そういえば…。と思って。
ドイツの口座の出入りをオンラインで見る。

あれ〜っ!?
いまだに引き落とされていいる〜。
毎月35ユーロ(4000円)、インターネット代。
手違いだー。
なぜにこんなにも事務処理ができないのか〜っ!
ドイツ〜っ!もー。いやだー。

ン!? 実は…。
あの暖房代も向こうの間違いではないか?
撤退のどさくさに紛れ、敷金が当てられたりして。
わけがわからなくなったが。
一体、全部でいくら払ったのか。

ムムっ。
超過料金、1200ユーロ(14万円)ではないか?
これはあり得ん!
毎月、暖房代を含めた光熱費を払っているし。
暖房に14万円の超過とかあり得んでしょーがーっ!

やられた。
やられたー。

あー。ドイツで鍛える生活。
修行は全然足りてなかった…。

ま。そんな事を東京の青空の下で嘆いても。
仕方がない。
次へ進もう。次へ。
過去に戻るのは簡単だ。
前へ。前へ。

いや。前を見すぎてもいけない。
今。だけを。
過去も未来も今についてくる。


おわり







2011年5月3日火曜日

ドイツで鍛える生活 #59

**** ドイツ撤退への道 #3 ****

さて。
私の引越しは30kgのダンボール2箱程度。
引越し業者は使えないけれど。
えっこら郵便局まで運ぶのは無理という…。
超中途半端な引越しなのである。

日本だったら宅配業者なり、
郵便局なり(EMS)に電話すれば。
ダンボール1個でも取りに来てくれる。

しかーし。ここはドイツ。
生活の基本は。
『なんでも自分たちでやる』ことである。
集配サービスなぞない。

彼らにとって。
サービスなんつう物体のないものに。
金を出すなんて意味不明なのだ。
周りの人々と協力すれば済むことなのである。
言い換えれば、助け合いの社会。
ドイツ人は堅実(またはケチ)と有名だが。
皆の『一銭たりとも余計な金は払わん!』
という覚悟はすごいんだから。ホント。

このサービス業のない社会は。
すごい不便なのであるが。
あの財布の紐の堅さを見ている限り。
国民が自らそう望んでいるのではないかと思う。
よって。
この国のサービス業が発達することはきっと…ない。
もし。それが受け入れられた時は。
おそらく『助け合い』の社会も崩壊したときだろう。

ま。そんなわけで。
集荷のサービスがないなら。
自分たちでやればいいのであるが…。
便利な社会からこの社会へ飛び込んだ私は。
その自分たちの『たち』の部分が欠けているのである。
会社のボスなんかにも頼めるが…。
エレベータないし、5階だし、30kgだし。
ボス。腰抜けちゃったりして〜。とか。
運んでもらって『じゃあね』じゃ、失礼だし〜。
そのあとにカフェでも行っておごるか。とか。
でも。あの人と会話。弾まないんだよなー。とか。
『助け合い』『頼み合い』の社会に慣れていないもんで。
グチャグチャ考えているうちに面倒くさくなり。

えいっ。悪いクセだが金で解決。
高いけど。日系の運送会社に頼む。
さすが。日系。
一箱から取りに来てくれる。
当然、日本人のいないリューベックに支店はないので、
どっかのドイツの運送会社に委託される。

日系といえども。
もうリューベックに来る時は、
日系の「に」の字もないドイツの会社である。
ドイツの会社では伝言が伝わってなかったり、
重要な書類が回ってなかったりすることがよくある。
つまり。事務処理があまりできない。
果たして約束通り来てくれるのか…。

ところで。
ドイツの集合住宅では。
一階にメインエントランスがあり。
そのドアの外側に、
アパート全員の呼び鈴と名札がある。
郵便や配送などはここに名札がないと。
住所は合っていても持って帰られてしまう。

* * * * 荷物ピックアップ当日 * * * *
こんな重要な時に。
表札をいたずらで剥がされていたらいかん。と思い。
(ドイツ。わりと自転車泥棒とかイタズラとかが多い)
確認しに1階へ下りると。
えーっ。表札が次に住む人の名前になっているーっ!
ハウスマイスター(家の管理人)が気をきかして。
もう次の人の名前を貼っていたのだ。
もー。ドイツ人。
いつも仕事ちゃんとしてくれないのに。
なぜ、余計なところだけ、早いのだ。

慌てて、自分の名前もセロテープで貼る。
しかし。
通りがかりの若者にいたずらされたら悲しい…。
(↑まだ言ってる。ビョーキ)
1階のメインエントランスがガラスドアなので。
内側からもテキトーなドイツ語でメモを貼る。
『メモ: マユゲに用の方はxxxさんのベルを鳴らしてください』

よし。これで剥がされたとしても、
集配の人が帰ってしまうということがない。
完璧。ふう。あぶなかったー。

メモ:  マユゲ(に用の方)は yyyさんのベルを鳴らして下さい




















そして。金曜日。午後4時。
4時までにとりに来るはずなのだが来ない…。
やばい。週末になってしまう。
週末、ドイツ社会は止まる。
もーっ。今日、来なかったら、
私、月曜日の飛行機乗れないよー。
と思ってたら。
午後4時20分。来たー!ばんざーい!

やったー!
荷物。ちゃんと取りに来てくれたー!バンザーイ!
指定した日に取りに来てくれただけで。
もー。大感激!
ま。日本じゃ当たり前の事なんだけど…。

が…。あれ?!
控えの伝票もらわなかった…。
あのおっちゃん、なにも確認しなかった。
日本だったら。
ドライバーが伝票を確認し、サインして。
控えを渡し、伝票を荷物に貼って。
『では。確かにお預かりしました』となるわけだが…。

あのドライバー。
『あ。荷物これね。じゃあねー』だけだった…。
私。サインもしていない。
で。伝票をピラピラさせたまま。
荷物にさえ貼らなかった。
あれじゃあ。荷物と伝票がはぐれてしまうーっ!
荷物紛失の可能性大である。
で。『控え』を貰い損ねたので伝票番号さえわからない。
紛失してもトラッキングできないし、
伝票がないのでは、20万円かけた保険もおじゃんである。

『…… 』
もう自分のバカさ加減に腹が立った。
この『鍛える生活』を通して。
ここでは世の中は。
自然に回るものでなく、
自分で押して回すもの。
何度も確認して押す姿勢が大事であると。
あんだけ思い知ったはずなのに…。

『やったー。荷物とりに来てくれたー』と。
その感激だけで。
全てがすっとんでしまった…。

           * * * * * * *
ハイ。次。気を取り直して。
口座の金の移動チェック。

3日前。銀行にて、全財産を。
日本の自分の口座に移動したのであるが…。
えーっ。ない。
送金先の日本の口座にもないし。
送金元のドイツの口座にもない。

どこにいっちゃったのー。
私の全財産。

しかし。もうドイツを飛び立つ日がきました。
いろんな問題を残しつつ。
次回は。さようならドイチランド。

2011年4月28日木曜日

ドイツで鍛える生活 #58

**** ドイツ撤退への道 #2 ****

前回の続き(ドイツ撤退への道 #1)。
ネットの解約のお手紙はどうなったかというと 。
お返事がきたー。解約完了ー!と思いきや…。

『ドイツを出て海外に住むからと言って、
2年契約を解約できるということはありません』
ガーン。
『しかしながら、解約する手筈はあります。
次に住む国の住民票を私たちに送り云々〜』

いやねえ、その国の住民票は…日本語なんですけど〜。
あんたたち理解できないでしょーがーっ。
ん!? ってことは大使館の翻訳の認証がいる…。
翻訳。数行でも手数料込みで5000円…。
あーあ。ともかく。
日本に引越ししてからじゃないとできないので後回し。
その間も、毎月の通常額。
数十ユーロの引き落としは続くのだー。あーあ。

で。例の大問題。
最後の日まで使う光熱費の引き落としであるが。
引き落としが完了するまで銀行口座を開けっ放しにすることにした。
電気は。
電力会社にアパートの契約最終日に。
電話で数値を自分で報告するらしいのだが。
ワタシ、ドイツ語ヘタ。デンワ、ムツカシイ…。
多分、アナタ、イマデキル。とか。
管理会社(大家)の人にグチグチ言ってたら。
電力会社に電話してくれた。
最後の請求書は1ヶ月以内に引き落とされるらしい。
ふう。一つ解決。

「で。暖房代はどうすればよいの?」
(注:ドイツの暖房代は基本、家賃に含まれているが1年に1回検針して過不足分を支払う)
「今年分は検針の時じゃないとわからない」と管理会社(大家)。
えっ。それって~。いつ?
「7ヶ月後」
「ハ?! 精算が7ヶ月後ということは…それまで銀行口座を閉めれないってこと?」
「そうなりますねえ」

えーっ。日本だったら翌月で終わるものが。
7ヶ月後ですかあ(注)
で。その暖房代にいくら金を残しておけばいいのか…。
(注: 後で聞いたのだが、翌月に精算してくれる所もあるらしい)

この話を持って銀行に行き、打ち合わせ。
7, 8ヶ月後の引き落としを待ってから、
銀行口座を閉めることはできるとのこと。
「じゃあ。全部引き落としが終わって、その後の金は?」
「ドイツ国内の銀行に限り送金できます」
「…… 」
ドイツ国内の銀行に送金できたって…。
私はドイツを撤退するのに~。

というわけで。
引き落とされる予想額を適当に残し。
(まったく検討がつかないが、日本円に換算して5万円程度残した。海外送金は手数料が4000円もするので、足りないという事態にならぬよう…)
すべての引き落としが終わったあと(9ヶ月後ね)。
残金はベルリンにいる日本人の友達のドイツ口座に自動送金する。
で。その友達が日本帰国時、手持ちで持って来てもらう。
という手筈になった。

ウーム。しかし。このシステムでは。
人の協力なしで解決は不可能である。
いやあ。ホント人は1人じゃ生きられません。

次。物理的な引越し。
粗大ゴミはどうすんのかねー。
というまた初歩的な問題。
まあ。布団なんかは。
市の粗大ゴミかなんかに引き取りに来てもらえばよいわけだが。
それだって、指定日なんかもあるわけで…。
となると、最後の2週間くらいはホテル暮らしか、
床の上で寝るなり、寝袋を借りたりして過ごすしかない。

が。しかし。今回。
救いの女神(= 家の後釜)がいるのだ。
(参照: ドイツで鍛える生活 #51
彼女がすべて引き取ってくれるので。
洗濯機や、布団など家具はすべて置いていく。

よって。
私の引越し荷物は服やらキッチン用品など、
30kg程度のダンボール、2箱程度になる模様。
しかーし。ここは海外。
どこにあるの~?ダンボール?という。
また超初歩的な問題が発生するのだ。

おそらく、30kgに耐えられるダンボールは。
日曜大工店に行けばある。
しかし。そういうのは大体郊外にある。
田舎街では車を持っていない人にはキビシイ…。

ってなわけで。
実は。日本からドイツに引越した時のダンボールを。
1年数ヶ月、大事に取っておいたのだ。
いつか撤退する日のために。と思って…。
役立つ日が来ましたー!
しかし問題はボロイんだな。これが。
もう一回、海を超える引越しに耐えられるのかこのダンボール。

ってなわけで。
頑丈なガムテープで補強することにした。
がっ。ここで問題。
どこに行っても布のガムテープがないっ!
あるのは一カ所切ると、
『メリっ。ビリっ』てすぐ全体が切れててしまうヘボいテープのみ。
これでは補強にならん!
文房具店も、郵便局も、デパートも行った。
金と時間をかけてバスで日曜大工店も行った。
どこもなかった…。
気がつけば、ガムテープを探すこと4日間(←バカ)。
もーっ!この国に頑丈なガムテープはないっ!

翌日、前から計画していた、
スペインのバルセロナへ旅立った。
当然。今、欲しいものはオリーブオイルでも靴でもなく。
ガムテープっ!
デパートで超頑丈そうな奴をみつけ一件落着。

そして。カルパッチョの食中毒で、
もうろうとしたままガムテープを抱えドイツへ戻る。

撤退まで残り2日。
念願のガムテープを使い、必死こいてパッキング。
海を超える引越しはちょっとの荷物でもお金かかるので。
何としても2箱に納めたい。

あとで聞いたのであるが。
ドイツは環境先進国だから、
ガムテープとか使わず、
次回も箱を使えるように箱を工夫するので。
発達したガムテープがないのでは。とのこと。
なるほど…。
布ガムテープがない。って…この遅れた国めーっ!
という私の発想の方が遅れていた。
というわけだ。

ともかく。日本から来た箱プラス、
スペインのガムテープ+ドイツの紐で。
グルグル巻きにされた私の反エコな荷物が完成。
重さ。測れないけどたぶん、30kgくらい(一箱30kg以上は送れない)
これ、もう。持ち上げるのも不可能。ってわけで。
どうしたかは。また次回。
















すんません。撤退話。まだおわりません…。
まだ、問題が出て来るんだなー。

2011年4月21日木曜日

ドイツで鍛える生活 #57

**** ドイツ撤退への道 #1 ****

会社も終わった。
あとはドイツ撤退に向けて。
まっしぐらなのであるが…。
近々、大家が家を見にくるというのに。
洗面所の電気の接続ケーブルがどっかで外れてて。
電気がつかない…。もー。

さてと。
手続き関連が色々山積み。
インターネットの解約やら電気、水道、暖房代の精算。
ドイツ版NHKみたいな公共放送の解約(GEZ)。
銀行と口座の閉鎖についての打ち合わせ。
引越し荷物の手配など。

ウーム…。
これまた全部ドイツ語で切り抜けるわけで。
もう頭が痛い…。
当然。引越し荷物のパッキングもある。
しかも。スペイン旅行なんかも入れちゃったので。
全てを3日間でやる予定なのである。

ドイツの解約は何でも(ネットやら携帯やら、家など)。
基本。月末から数えて3ヶ月前に言わないといけない。
(つまり、実質。3ヶ月半くらい前に言う)
しかし。家は自分で後釜を見つければこの制度は免除される。
で。今回、運よく次に住む人を見つけたので。
(参照: ドイツで鍛える生活 #51
色々と助かったのであるが。
問題なのは銀行口座。
もちろん。撤退前夜まで家は使うわけで。
電気、水道、暖房やら、電話なんかも使う。
となると。
それらの精算と引き落としは。
自分が撤退した後に行われるわけだが。
その時には自分はもうドイツにいないし。
銀行口座も閉めて金も持ち出してしまうわけで。
一体どうしたものか…。

で。昔。ドイツにいた時は。
暖房なしのアパート + 低賃金のブルーワーク で。
寒さやらなんやらで精神ともどもイカれ。
わたしゃ、もう一生。
ドイツなんか来ないぞー。
ブラックリストにでもなんでも載せてくれやー。
エイッ!と。銀行口座だけ閉め。
後は知らないもんねー。ってズラかったら。
引き落とせなかった携帯なんかの請求が日本まで到達し。
最後には赤紙のようなすんごい警告とかが来たりして。
きゃー。ナチ。とかビビリまくり。
結局。延滞金を含め、高い海外送金をして払うハメになったので。
今度はちゃんとしたいのである。
まあ。無謀な事をするにはもういい年だしね。

というわけで。
やるぞー。手続き。開始!

まず。役所に行き、ドイツの住民票を抜く。
ハハー。もう住民じゃないぞー。
もう給料の40%の税金を払わなくてよいんだ。
いや。まあ。給料もなくなるんですけどね。
ハイ。ホント。
たくさんドイツ国にお金を献上しました。

次。インターネット。
これは家の後釜の人が使うというので。
一緒にショップに出向く。
名義変更完了!
ウーン。順調だ!
2年契約のモバイルネットも同じ会社なので。
そこで一緒に解約しようとすると。
ショップのお兄ちゃんは。
ここでは出来ないから
本社のカスタマーサービスに『辞めます』
という旨の手紙を書いて遅れと言う。
「えー。解約する用紙とかないわけ?」
「ない」
えー。フリースタイルの手紙ですかー。
なにそれ。

次。TV、ラジオの公共放送の解約。
とある銀行に用紙があるとの噂を聞いたので銀行に出向く。
が。用紙がなかった…。
家に帰り、ネットで。
ドイツ語版の『なんでも相談室』のQ&Aみたいのをみると。
やっぱりその銀行にあるらしい。
もう一度、銀行に出向く。
今度は銀行のお兄ちゃんに
『用紙がほしい』と言ったら出て来た。
あー。もう。何でさっき聞かなかったのか…。
これを。先ほど抜いた住民票のコピーと共に郵送すればよいらしい。
よーし。一個一個解決しているぞー。

そう。今まで。
『鍛える生活』で奮闘してきただけあり。
ドイツ語も手続き関連は意外と問題ないのである。
しかーし。
トラブル解決用語ばかり使っているので。
『これ。解約したのだが、解約されていないんだけど』とか。
『トイレの配管から水が漏れているんだけど』とかは。
スラスラ〜っと言えるのであるが。
実は。お恥ずかしながら。
『今夜、遊びに行かない?』みたいな文句は。
サラッと言えないわけです。
あー。哀しいですねえ。
どんな生活をしてきたのか、この語彙が物語っています。

さて。例のフリースタイルお手紙というのを。
書いておくってみた。

これに対するお返事を郵送で貰えば。
無事。解約らしい。
というか…。
お返事。私がドイツにいる間に間に合うのだろうか…。

しかし。このフリースタイルお手紙。
携帯の解約などでは一般的らしいのだが。
なぜ故に決まった用紙を作らないのか。
必要なデータを書き忘れる人がいたりで、
となると。
手紙が行ったり来たりしてかなり効率悪いと思うのだが…。
ゲルマン=効率。
という世間一般のイメージとかなり違うんですけど。
(実は解約に時間を取らせ、1ヶ月でも2ヶ月でも多く金を取る悪徳商法のような気もするが、まあ。なんも信じられないビョーキなもんで笑)

が。この解約の件。
このあと。意外な展開を見せたのであった〜。

引越し手続きはまだまだ続く…。

2011年4月19日火曜日

ドイツで鍛える生活 #56

**** 勤務最終日 ****

ドイツで会社を辞めるの時は、
日本と同様、こっそり辞めるものらしい。
ということがわかり、
残り日数がわずかとなってからも。
淡々と日々の勤務をこなしつつ、
少しずつ、自分のオフィスを片付けたり、
コンピュータのデータを消したりして。
沈黙を守っていた。

そして。最終日。
さすがにやることもなく手持ち無沙汰。
ボスから皆に。
一斉メールが出る事になっていたのだが。
一向に出る気配がない
やっぱり。
外国ではいちいち催促しないといけないのかなあ。
と思っていたところ。出た。
『マユゲが日本に戻る決断をしました。彼女の貢献に感謝し云々~。 thank you

すると。
同僚たちがポツリポツリと私のオフィスにやってきて。
えーっ。知らなかったよー。なんでー。
と口々に言うので、

ウーン。いい街だけどね、
やっぱりここは小さい街だし、
家族主体だから。
独り者が住むには難しいところだよね。とか。
当たり障りのない返事をしていたのだが。
一番仲の良かったルーマニア人の子は悲しそうな顔をして。
「じゃあ.....君はロンリーだったんだ」と言った後、
うつむいてしまった

えーっ。ロンリー。って
そうか、私はロンリーだったのか。
ウーム。ロンリー
ロンリーって改めて言われると。
元もこうもないし。
なんだかものすごーく小恥ずかしい。
ロンリーねぇ

そして。
人が集まればいつものごとく。
『テーブルサッカーしよっ!』となるので、
よーし、最後の試合だー。と
テーブルサッカーをはじめようとしたその時。
1人のルーマニア人が。
「君はボクが初めて会った日本人なんだ」と。
ボソっと言った。
すると横にいたインド人も。
「ボクもだよ」と

いや。まあ。
おそらく、そうであろうとは思っていたが。
改めて言われるとなんかずしっと重い。
私は過去にも。
インド人もルーマニア人も身近にいたし。
話したこともある。
しかし彼らにとっては。
私が初めての日本人であり、
おそらく。最後の可能性も高い。

つまり。私の一挙一動が。
彼らにとっては。
私の行動でなく、日本人の行動なわけです。

出社時間は遅く、
椅子の上であぐらをかいて仕事をし、
そのまま隣の部屋くらいなら、靴を履かないで行く。
こっちでは非を認めないのが常識なのに。
あっけなく。
『あ。ごめーん。それ、私のミスだ』とか平気で言う。
チームランチで作るごはんは。
なんか得体の知れぬもの(やきそば)が出て来たりする。

というわけで。日本人は。
朝が遅く、靴を履かないで、すぐ謝るんだよー。
で、ごはんもなんか変なの作るの。
って伝わるわけですね。
もー。日本の皆様、申し訳ない!

その後。入れ替わり立ち代わり、
色んな人とテーブルサッカーをした後。
色んな人のところに立寄り、
最後の挨拶まわり。
このへんも日本と同じである。
違うのはハグしたりすること。
しかし。これ。外人だから違和感ないけど。
日本だったら。
会社で隣のおっさんとハグして別れるとか。
あり得ません。

で。最後の決まり文句は。
キープ イン タッチねー。
みたいなことをあちらこちらで言い合うわけです。
これも、まあ。親しい度によって。
単なる挨拶だったり、義理だったり。
本気だったりするわけです。
この辺りも日本と同じ。

そして。外国では。こういう時。
Facebookのアカウントを交換するのが通例なのだが
うかつにもボスとも交換してしまい。
ブログのリンクを貼ってあったため、
この『ドイツで鍛える生活』もバレてしまった。

「あ。でも。日本語だから読めないよ」と私が言うと。
グーグル翻訳で読むから大丈夫」とボス。
……
けっこう職場の事書いているしなあ。。。まずいなあ。
でも。所詮、機械の翻訳だしいっか。
「ほーら、こうすれば、君がブログをアップしたとき、
自動でメールで知らせが来るし』
と。ボスはRSS登録なんかもしてみせた。
……
(なんかいやな予感

そして。
会社のIDカードと鍵を返し、
オフィスを去った。

家へ向かってテクテクと歩くと。
風がきもちいい。
空もきもちいい。
そう。自由だ。自由なのだー!
仕事という足かせが取れたと同時に無職になっちゃったけど。
もー。異様なる解放感!

もう東京に帰れちゃうぞー。
帰ったら『ちょっとお茶しない?』とかできるのである。
微妙なニュアンスの会話だって楽しめる。
車がなくても行きたいところに行ける。
気軽に地下鉄や電車にヒョイっと乗り。
帰りたい時はいつだって電車に飛び乗ればよい。
自力で気軽に移動できるのだ。
寒くないからオートバイだって買えちゃうぞー。

そして。
遂に。金曜日の夜から月曜日の朝まで。
一言も喋らない無言行の生活とも、
お別れなのであるが
(つまり会社以外で喋り相手がいないわけ。ま。努力しなかった私の責任も大きい)

実は。これ。
裏をかえせば『超自由』ということでもあった。
究極の自由は常に孤独とセットである。
『孤独でなくなる』とは。
『自由でなくなる』ということだ。
私は。孤独を捨てるのと引き換えに、
自由も捨てる

バイバイ、ロンリネス。
バイバイ、フリーダム。

 * * * * * * *
ともかく。
実は。自由を捨てているのだが。
なんだかわからぬ解放感にひたりつつ。
テクテクと歩き家に到着。
ボスの言ってたグーグル翻訳で自分のブログを英語に訳してみる。
ガーン!わかる
けっこう何書いているかわかる
慌ててグーグル翻訳をかく乱させる書き方を研究すること数時間。
まずい部分を書き直すこと数時間。
解放感もすっとんだ。

あー。くだらない。
もー。何やってるんだろ。

(もう読んでないと思うので、普通の書き方に戻しました)