2010年8月30日月曜日

ドイツで鍛える生活 #32

**** 孤独論 #1 ****

孤独とは。
一人で完成するものではなく。
第三者によって完成されるものである。
そして。
孤独を愛する。とは。
孤独でないという安心感の上に。
始めて成り立つものである。
by マユマユゲ

私の一人暮らしも計15年ほどになるが。
一人でごはんが寂しいとか。
作るのが面倒とか思ったこともなく。
ごはんなんてもう毎日の一大イベント。
会社にいても昼も3時をすぎれば。
今日は何を作ろうかなー。と。
帰りのショッピングコースに思いをはせ。
カレーなんて。
スパイスを挽き、調合から始め。
一人でもケーキを焼き。
もー。超旨い!。ルン。という状態。
(↑頭おかしいのかも…)
そこに。
一人暮らし=孤独。という図式は。
全く存在しなかった。

なぜならば。
それは。周りに友人や仲間がいる上で成り立つ、
『独りの時間』であって。
安心感の上に成る『疑似独り』であり。
その『安心』という基盤があることにより。
愛でることができる独りの時間だからだ。

一般に言う。
孤独を愛する。とは。
実はこの辺りのことを言うのだと思う。

さて。ドイツ。
単身乗り込んだため。
全くプライベートな知り合いがいない。
よって。
休日は独り遊びに興じているのだが…。

ここでは、月曜日に出社すると。
週末はどうだった?と聞かれる。
ま。別に相手は自分の週末に興味があるのではなく。
単に。How are you ?
の月曜日バージョンと言ったところなので。
まあ。goodとか。
社交程度に答えておけばよいものなのだが。
なんかこの質問がドキッとするのである。
これ以上聞くなよ〜。と。
ドキドキするのである。

つまり。
独りでギター弾いてました。という週末が。
第三者から見て。寂しいーッ!となったら。
その独りは『孤独』になってしまうのだ。
周りに人がいる上で、
独りの週末を選んで過ごしている。のであれば。
それは孤独ではないのであるが。
周りがヤバイ。こいつ、本当に独りだ。
となったとき。
第三者からのお墨付きをもらった『孤独』が完成する。
まあ。一人で完成する孤独なんて大したものではなく。
二人でいるのに孤独。
というほうが本当は孤独度はデカイとは思うが。
まあ。それはまた別種の孤独になるので。
ここでは置いておくが…。

まあ。ともかく。
周りに同情されたとき。
その孤独は本気孤独になってしまうのだ。

この辺りの領域を守ることが。
エセ孤独の最後の砦で。
笑える孤独の最期なのだ。
そう。何事も『笑い』を超えてしまったら。
それは間違った域に差し掛かっているということなのだ。

そして。明日またやってくる。
How was your weekend?

もー。挨拶だと思って気軽に聞きやがってー。
こっちは最後の砦がかかってるんだぞー。
その砦も半分崩れかかっているしー。
バローっ!

2 件のコメント:

  1. ほぉ〜、なるほどと思わせる鋭い考察。
    てことは、孤独な自分に気付いていない
    周りや世間と繋がっていると勝手に思っている人間が
    本当の孤独であり、孤独を愛したり、味わったりしてないわけだ。
    おもろい。

    まあそれはそれで、
    いま期待しているのは、
    「ドイツでロマンス♡」
    とか
    「ドイツで出産♪」
    とかなんで、
    もっとコチラを想像して是非とも叶えて欲しいと
    一読者は思っっておるよ。
    もっとおもろくなってね。

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  2. 次回も孤独論の続編。もう詳しいよ。孤独に関しては。

    ロマンスものは書くかー。ボケーっ! 
    ドイツで出産ですか。そんなことしたらこの監獄から出られなくなるので絶対に避けたい。しかし、読み物としてはそっち方面に転がるとオモロイよね…。
    しかしまあ。生活がひどくなればなるほど、ネタがいくらでも出て、いくらでも文が書けるというこのジレンマはどうしたらよいのだろうか。ネタを取るか。自分の生活を取るかというかんじですわ。

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