2010年3月22日月曜日

人生は楽しむべきか

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物事というものは時代と共に変化し。
それに呼応し常識も変化する。
で。
良識が残った上で常識が変わるのであれば。 
それは古き良きものや価値観がなくなることではなく。
単純に人間とその世界を巡る進化だと思う。
たとえば。
80年代のワンレン&ボディコンを今見ると格好悪く見えるのは。
価値観が進化したからである。
言い方をかえれば…。

人間は過去を振り返ったとき。
常に恥ずかしくないといけない。

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私は。
当たり前とされていることが嫌いというか。
当たり前なことに。
ものすごーく違和感を覚えるのである。
 (参照: はかなき 常識 )
金曜日だから遊んで弾けないとっ!とか。
夏だからビーチとか。
1週間休みだから旅行にいかないと。とか。
そういう通念がどうもしっくり来ないのです。

なんというか。
そのステレオタイプさが古くさいのです。
そこだけはワンレン&ボディコン時代の感性と同じなのだ。
でも。
人類もそれを取り巻く環境も進化した。
遊び方も様々であってよい。
金曜日の夜に家にいたってよい。
水曜日の夜に羽目を外したければ外せ ばよい。

もっと言えば。
人生楽しまなきゃ!というが…。
まあ。そう思い込まなくても…。
楽しまなくても、まあよいのです。

というのも。
人はなぜダイエットをするのか。
なぜ人はジョギングや運動をしてみたりするのか。
なぜ快楽(食うこと)を追わず鍛錬(ジョギング)するのか。
それは。
その苦行や鍛錬から得られる何かが。
その快楽より勝っているからである。
つまりだ。(飛躍します↓)
人類が快楽の次に求めるものはおそらく鍛錬なのだ。
ま。鍛錬のあと得られるものも。
言ってみれば快楽なのであるが…。
その快楽は直接的な快楽とはまた異なった、
ひと捻りされた快楽である。

人間、基本Mという。
Sだって。Mを制してこそSだと言う。
Mを超えてこそ真の快楽を得る。
単純に楽しみからだけでは本来の楽しみは得られんのです。
人生楽しまなきゃっ!
なぞもう古い。
これからは。
人生鍛えなきゃっ!です。

そんなわけで。
私はリューベックという寺に入って鍛えているわけです。
(シリーズ: ドイツで鍛える生 活 #1〜)
ハイ。体力が続く限り、鍛えますっ!

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